出版社内容情報
選考委員からレベルが高いとの指摘があった第65回群像新人評論賞候補作、その中から優秀作に選ばれ、「群像」誌上に発表されると大反響と共に話題となった傑作批評に大幅加筆した増補改訂完全版。シールズの運動とその後を総括、我々と鷲田清一の平成における転向の軌跡、後続する臨床哲学の担い手たち。日本社会のひずみに鋭く切り込み、コロナ禍に顕在化したケアの問題にまで発展する極めてアクチュアルかつクリティカルな論考である。
目次
序 論駁するということ 射影の方法をめぐって
第一章 二〇一五年の鷲田清一
第二章 〈戦前〉から〈戦後〉へ
第三章 〈ふれる〉ケアと加害の反転
第四章 平成の転向者たち
第五章 〈戦中〉派としてのSEALDs
第六章 鷲田清一から臨床哲学へ
第七章 軸と回転 谷川雁vs.鶴見俊輔
第八章 〈地方〉と〈中央〉
第九章 〈旗〉と〈声〉 臨床哲学再論
第十章 SEALDsとその錯誤
終論 待兼山の麓から エッセイストたち
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
恋愛爆弾
21
ちょうど100頁過ぎた辺りから独楽が回転し始めた。現場を例にとる批評は見方によれば偽善的にも思えるかもしれないが、それでも44頁などの鷲田の弟子たちの受難や、SEALDsを取り巻く詩的状況の消滅に谷川の「『瞬間の王』は死んだ」を重ねる考察、120頁のSEALDsのいう「スキル」に対する実例を用いた批判などは、文芸批評と政治運動と経済学と社会学とコンテンツ批評と哲学を「ぴょんぴょんはねて」とび越える、まさに「錯乱」であり「論駁」に違いない。つまり、このエッセイストの〈党〉になら「乗ってもいい」と思えたのだ。2022/12/23
buuupuuu
16
根本的な問題は、政治運動と日常生活の分断であり、我々が政治の言葉を信じられなくなっていることである。SEALDsは、政治の場で個人の言葉を語ろうと試みたのだが、運動としては敗北し、日常へと帰っていった。著者は、SEALDsが日常へと回帰する際に、政治の言葉を手放してしまったと総括する。日常生活の場で政治の言葉を諦めることにより失われるものがある。それは政治の言葉を鍛え、更新し、歴史を積み重ねていくことであり、抽象的なものを我々のものとして具現化させていくことであり、その言葉の下での連帯の可能性である。2022/07/25
やましん
7
書評家の三宅夏帆がツイッターで紹介していたので購入。最近(ここ1年くらい)読む本のいくつかが三宅夏帆や小幡敏などの同年代の著作なのだが相対的に怒りが滲み出た文章。SEALDsの解散に際して、結局のところSEALDs自身も能力主義を肯定する価値観を表明していたことなどに対して怒るのも哀しむのも途方に暮れるのも共感する。するのだが、文章中にカギ括弧が多用されすぎている感が否めず、括弧内の語句が本来の意味として用いられているのか著者の含意があるのか、あるならそれが分からないと先が読めないのか分からず苦労した。2022/10/23
午後
6
鷲田清一の転向の意味や、工作者・谷川雁の論理を解きほぐしながら、SEALD'sの成したことと運動体としてのその限界を考えることによって、新たな政治的主体のあり方を模索する。思考しながら働き、生活するためのコモンセンスを一からふたたび練り上げようとする力強い名著。あと、行分けの仕方が格好良い。2024/01/21
ひつまぶし
2
途中で何が転向なのかよく分からなくなったが、要するに批判されているのはSEALDsの解散の仕方。鷲田清一を批判し、谷川雁を肯定的に語るのかと思ったら、鷲田は臨床哲学に携わりつつも「哲学」は手放さなかった点で非転向なのだと。非転向は行動する姿勢であり、〈中央〉から距離を取ることで開かれる〈地方〉という地平であり、それこそが思想の軸となるというような話。SEALDsについてよく知らないが、「いずれ来るかもしれない闘いのためにスキルを身につける」と言って運動を解体してしまうのは確かにあまりに無自覚だと思った。2025/01/05