講談社選書メチエ<br> “芸道”の生成―世阿弥と利休

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講談社選書メチエ
“芸道”の生成―世阿弥と利休

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  • サイズ B6判/ページ数 282p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784065258989
  • NDC分類 773.28
  • Cコード C0370

出版社内容情報

出会わざる二つの巨星、ここに出会う。
芸術と政治権力の矛盾に満ちた「共生」の秘密を解き明かす、ドイツ哲学の大家による鮮やかな新解釈。

将軍・足利義満の寵愛を受け、芸術界の頂点を極めた世阿弥は、しかし義教の時代に一転冷遇され、佐渡配流に。一方、織田信長に引き立てられ、豊臣秀吉に優遇された千利休も、最期は秀吉から自刃を賜ることになった。
「芸道と権力の矛盾的共生」を生きた稀代の芸術家二人は、弛緩と緊張の相半ばする時代と人生の只中で、能楽と茶の湯という芸道をいかにして成らしめたのか。時の隔たりを超え、二つの巨星を突き合わせることで見えてくる、日本的美の深奥としての「遊」の境地。

[本書の内容]
第一章 なぜ「世阿弥と利休」か
 一 六百余年の忘却に埋もれていた世阿弥
 二 「世阿弥と利休」という視座
 三 世阿弥と足利義満・義教
 四 利休と織田信長
 五 利休と豊臣秀吉
 六 「芸道」および「茶道」の概念史
 七 東西の芸術観の比較
 八 戦陣の中の遊楽
第二章 世阿弥と義教
 一 足利義教――天魔と歌人が同居する将軍
 二 『風姿花伝』の「花」
 三 『風姿花伝』から『花鏡』へ――「秘すれば花」
 四 「離見の見」――演者の目と観衆の目
 五 「批判之事」――「貴人」の批評眼の意味
 六 『金島書』――「こがねの島」佐渡へ/から
第三章 利休と秀吉
 一 『南方録』研究史の概観――茶湯ニハ、昔ヨリ書物ナシ
 二 下克上の時代の茶の湯
 三 織田信長――夢幻の如く也
 四 秀吉と利休――美をめぐる対峙と共生
 五 『南方録』の美学
 六 「利休死後」の利休
結語 「遊」、そして現代
あとがき 西田幾多郎の手紙(新史料)にちなんで

内容説明

将軍・足利義満の寵愛を受け、芸術界の頂点を極めた世阿弥は、しかし義教の時代に一転冷遇され、佐渡配流に。一方、織田信長に引き立てられ、豊臣秀吉に優遇された千利休も、最後は秀吉から死を賜り自刃することになった。「芸道と権力の矛盾的共生」を生きた稀代の芸術家二人は、弛緩と緊張の相半ばする時代と人生の只中で、能楽と茶の湯という芸道をいかにして成らしめたのか。時の隔たりを超え、二つの巨星を突き合わせることで見えてくる、日本的美の深奥としての「遊」の境地。

目次

第1章 なぜ「世阿弥と利休」か(六百余年の忘却に埋もれていた世阿弥;「世阿弥と利休」という視座;世阿弥と足利義満・義教 ほか)
第2章 世阿弥と義教(足利義教―天魔と歌人が同居する将軍;『風姿花伝』の「花」;『風姿花伝』から『花鏡』へ―「秘すれば花」 ほか)
第3章 利休と秀吉(『南方録』研究史の概観―茶湯ニハ、昔ヨリ書物ナシ;下克上の時代の茶の湯;織田信長―夢幻の如く也 ほか)
結語 「遊」、そして現代

著者等紹介

大橋良介[オオハシリョウスケ]
1944年、京都市生まれ。京都大学文学部卒業。ミュンヘン大学哲学部博士号学位取得。ヴュルツブルク大学哲学教授資格取得。滋賀医科大学助教授、京都工芸繊維大学・大阪大学大学院・龍谷大学の教授を歴任。定年後、ケルン大学・ウイーン大学・ヒルデスハイム大学・テュービンゲン大学の客員教授を歴任。2014年より日独文化研究所所長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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tamami

51
冒頭、芭蕉の『笈の小文』の一文が引かれ、何故芭蕉は風雅の道に連なる大成者として世阿弥の名前を挙げなかったのだろうとの掴みに興味を惹かれ手に取る。謎の答えは「芭蕉は世阿弥の能書を知らなかった」という極簡単な道理であるが、本書はその道理の出来してきた事実から出発し、世阿弥と利休という、風雅の道を極めた二人について、方や足利義教、方や豊臣秀吉という絶対的権力者と、或いは肝胆相照らし或いは流罪また死罪を命じられる、と言う歴史が描くところのアイロニーについて、その拠って来たる構造と、それぞれが持つに至った確執とその2022/09/07

広瀬研究会

5
伝記的な内容ではなく、芸術論のことが説かれており、世阿弥のことも千利休のこともよく知らない僕のような者にはとっつきが悪かった。でも世阿弥が佐渡に流されてから著した『金島書』について書かれた箇所は面白く、著者が世阿弥の作品中で「最も心を動かされた」と言っているのには大いに賛同した。全体的に同業者の批判を牽制しているかのような居丈高な文章に思えたけど、あとがきに書かれた各方面への謝辞がとても心がこもっていて、最終的にはこの先生いい人なんだろうなっていう印象で読み終えた。2023/05/14

Masa

0
非常に面白く、興味のわく本でした。難解でもあり、再読したいと思います。2022/05/08

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