出版社内容情報
出会わざる二つの巨星、ここに出会う。
芸術と政治権力の矛盾に満ちた「共生」の秘密を解き明かす、ドイツ哲学の大家による鮮やかな新解釈。
将軍・足利義満の寵愛を受け、芸術界の頂点を極めた世阿弥は、しかし義教の時代に一転冷遇され、佐渡配流に。一方、織田信長に引き立てられ、豊臣秀吉に優遇された千利休も、最期は秀吉から自刃を賜ることになった。
「芸道と権力の矛盾的共生」を生きた稀代の芸術家二人は、弛緩と緊張の相半ばする時代と人生の只中で、能楽と茶の湯という芸道をいかにして成らしめたのか。時の隔たりを超え、二つの巨星を突き合わせることで見えてくる、日本的美の深奥としての「遊」の境地。
[本書の内容]
第一章 なぜ「世阿弥と利休」か
一 六百余年の忘却に埋もれていた世阿弥
二 「世阿弥と利休」という視座
三 世阿弥と足利義満・義教
四 利休と織田信長
五 利休と豊臣秀吉
六 「芸道」および「茶道」の概念史
七 東西の芸術観の比較
八 戦陣の中の遊楽
第二章 世阿弥と義教
一 足利義教――天魔と歌人が同居する将軍
二 『風姿花伝』の「花」
三 『風姿花伝』から『花鏡』へ――「秘すれば花」
四 「離見の見」――演者の目と観衆の目
五 「批判之事」――「貴人」の批評眼の意味
六 『金島書』――「こがねの島」佐渡へ/から
第三章 利休と秀吉
一 『南方録』研究史の概観――茶湯ニハ、昔ヨリ書物ナシ
二 下克上の時代の茶の湯
三 織田信長――夢幻の如く也
四 秀吉と利休――美をめぐる対峙と共生
五 『南方録』の美学
六 「利休死後」の利休
結語 「遊」、そして現代
あとがき 西田幾多郎の手紙(新史料)にちなんで
内容説明
将軍・足利義満の寵愛を受け、芸術界の頂点を極めた世阿弥は、しかし義教の時代に一転冷遇され、佐渡配流に。一方、織田信長に引き立てられ、豊臣秀吉に優遇された千利休も、最後は秀吉から死を賜り自刃することになった。「芸道と権力の矛盾的共生」を生きた稀代の芸術家二人は、弛緩と緊張の相半ばする時代と人生の只中で、能楽と茶の湯という芸道をいかにして成らしめたのか。時の隔たりを超え、二つの巨星を突き合わせることで見えてくる、日本的美の深奥としての「遊」の境地。
目次
第1章 なぜ「世阿弥と利休」か(六百余年の忘却に埋もれていた世阿弥;「世阿弥と利休」という視座;世阿弥と足利義満・義教 ほか)
第2章 世阿弥と義教(足利義教―天魔と歌人が同居する将軍;『風姿花伝』の「花」;『風姿花伝』から『花鏡』へ―「秘すれば花」 ほか)
第3章 利休と秀吉(『南方録』研究史の概観―茶湯ニハ、昔ヨリ書物ナシ;下克上の時代の茶の湯;織田信長―夢幻の如く也 ほか)
結語 「遊」、そして現代
著者等紹介
大橋良介[オオハシリョウスケ]
1944年、京都市生まれ。京都大学文学部卒業。ミュンヘン大学哲学部博士号学位取得。ヴュルツブルク大学哲学教授資格取得。滋賀医科大学助教授、京都工芸繊維大学・大阪大学大学院・龍谷大学の教授を歴任。定年後、ケルン大学・ウイーン大学・ヒルデスハイム大学・テュービンゲン大学の客員教授を歴任。2014年より日独文化研究所所長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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