出版社内容情報
「外なる世界と内なる心、という分別は誤りだと思う」
見たり聞いたりする知覚の風景が自分の「心の中」にある心象風景だと感じる人はまずいないだろう。しかし、痛みや気分、悲喜の感情、思い出や希望、空想や妄想、そして意志といわれるもの、これらはまぎれもなく自分の「心の中」のものだ、と人は感じている。
しかしそれは、人が抱く根本的な事実誤認ではないか?
世界そのものが悲しく喜ばしく恐ろしく、回想や希望も現在も、常にひとしく四次元の全宇宙世界の立ち現われなのである。
このことを、光学虚像や幻覚・幻像、時間と空間、幾何学、芸術、自由と意志などさまざまな角度からていねいに論じる。陥りがちな誤解をほぐしながら、日常と科学を重ねながら、「世界の一項目としての私」を「世界のあり方としての私」に組み変える。
世界そのものが、悲しく喜ばしく恐ろしい。
こうして「私」は抹殺され、私が復元されたのである。
解説: 野家啓一
本書の原本は『新視覚新論』(東京大学出版会、1982年)です。
【目次】
1 見ることと触れること
2 見えている
3 何が見えるのか
4 「表象」の空転
5 鏡像論
6 過去透視と脳透視
7 空間の時間性
8 自由と「重ね描き」
9 言い現わし、立ち現われ
10 心
内容説明
見て聞いたものは「外」にあり、思い出や感情は自分の「心の中」のもの―それは人が抱く根本的な事実誤認ではないか?「外なる世界と内なる心、という分別は誤りだと思う」。森羅万象、過去現在未来意志…すべてひとしく四次元の全宇宙世界の立ち現われであり、「私」である。大森哲学の原点にして最高峰、待望の文庫化!
目次
1章 見ることと触れること
2章 見えている
3章 何が見えるのか
4章 「表象」の空転
5章 鏡像論
6章 過去透視と脳透視
7章 空間の時間性
8章 自由と「重ね描き」
9章 言い現わし、立ち現われ
10章 心
著者等紹介
大森荘蔵[オオモリショウゾウ]
1921‐1997。岡山県生まれ。東京大学理学部物理学科卒業、海軍に入る。戦後に同大学文学部哲学科に再入学、卒業。アメリカ留学を経て、東京大学教養学部教授、放送大学教授を歴任。独自の哲学をうちたて、多くの後進に影響を与えた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
- 評価
本屋のカガヤの本棚
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Ex libris 毒餃子
Go Extreme
十文字