内容説明
未踏の境地に達しながら惜しまれつつ早世したモーリス・メルロ=ポンティ(一九〇八‐六一年)。現象学から出発し、構造主義の流行、一九六八年の革命と続く激動の時代に生み出された主著『知覚の現象学』をはじめとする著作は、今も多くの読者を獲得し続けている。その生涯と全主要著作をやわらかに解きほぐす著者渾身のモノグラフ、待望の文庫版!
目次
プロローグ 現象学の地平へ
第1章 構造―“行動”の研究
第2章 運動―“身体”の現象学
第3章 スティル―“変換”の現象学
第4章 偏差―“隔たり”の現象学
第5章 可逆性―“肉”の存在論
エピローグ 現象学の臨界点
著者等紹介
鷲田清一[ワシダキヨカズ]
1949年、京都府生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大阪大学教授、同大学総長、京都市立芸術大学理事長・学長を歴任し、現在、せんだいメディアテーク館長、サントリー文化財団副理事長。専門は、臨床哲学・倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ころこ
46
読ませる文章を書くという観点では、シリーズ中で著者は傑出しています。著者の導入がメルロ=ポンティと地続きになっていて入り易いともいえますが、他方で学術的な難しさも十分にあり、いつの間にか絡み合いというか、沼の感触に溺れることになります。粘り強く読んでいかないと読み通せない本でした。前期は構造研究と〈身体〉、中期はスティル論と偏差論、後期は〈肉〉の存在論と分かり易く3期分け、それぞれに〈構成〉の現象学から〈制度化〉の現象学への転位、〈両義性〉の思想から〈可逆性〉への思想の転回、〈身体〉から〈肉〉の思想の身体2022/05/19
ゆきだるま
9
世界は身体を介して繋がっている(五感を通し)。私の中では、自分も世界も他者も繋がっていて行き来しているイメージ。そしてものをみる(認識する)とは同時にものにみられる、つまり主たる視点はなく、可逆的なのだと。またその捉え方、捉われ方にはスティル、つまり人や社会それぞれのやり方がある、といった感じだろうか。そしてやりとりするごとに変移していく、つまり、ものは固定じゃないのだと。また、茫漠な世界のごく一部でそのやりとりがなされてて、それは言葉によってものが取り出されてる感じかな。(だけど言葉も固定じゃない)2022/01/02
またの名
7
文体またはスティルについて:「たとえば言語表現や絵画表現をモデルにとりあげてみると、テクストや画面の構成要素の一つ一つは「ある特有の等価系にしたがって、ちょうど百の羅針盤の百の針のようにたった一つの偏差を示す」ようになっている。テクストや画面に散在している潜在的な意味がある共通したヴェクトルのもとに収斂させられ、そこに一つのまとまった意味空間が開かれる、といった仕組みになっている。そしてこの仕組み、より精確には、ある共通の偏差がそれにしたがって発生するところの指数を、メルロ゠ポンティは〈スティル〉と呼ぶ」2023/06/02
tfj
1
メルロ=ポンティの思想の変容を構造研究と<身体>現象学の前期、スティル論と偏差論の中期、<肉>と可逆性の後期と順を追って取り上げて行く。 可逆性とは主観-客観、精神-身体などの対は「同じ生地(肉)から編まれた」絡み合ったものだという見方で、彼の哲学は第一原理の探求などではなく、それらの対が一方が他方を否定する形で「終局なき裂開の連続」として発生し続けるダイナミズムを、その只中において<生きられたまま>記述しようとする哲学である。 とにかく難解で終始容赦のない300ページ。並々ならぬ忍耐力のいる本です。2021/09/07
うに丼
0
二元体の境目を溶かすようなしなやかさと強かさ 差異によって見えるようになること 規定されてしまうような、あるいは規定されてしまった感覚を思い出すこと2023/12/09