講談社選書メチエ<br> 贈与の系譜学

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講談社選書メチエ
贈与の系譜学

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  • サイズ B6判/ページ数 240p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784065194393
  • NDC分類 389
  • Cコード C0310

内容説明

何かを贈ること、プレゼントすること―日常的に見られるそのふるまいには、人間の本質に関わる秘密が潜んでいる。なぜ人は自分のものを犠牲にしたり譲ったりするのか。そこに「見返り」を求める気持ちがあったとすれば、贈与は交換に変容し、その本質を喪失する。ならば、純粋な贈与などありうるのだろうか。アリストテレスから新約聖書を経て、カント、モースからバタイユ、デリダに至る系譜を重厚に描き出す、著者の集大成となる論考。

目次

第1章 古代思想における“正しさ”―“義務・責任”の観念の由来
第2章 初期キリスト教における“正しさ”―その贈与性、ニーチェによる評価と批判(神との内的関係を重く見ること;カントの実践哲学;キリスト教に対するニーチェの評価と批判)
第3章 原初の社会における贈与的ふるまい(“贈与というかたちを取る”物の交流・交易;贈与的なふるまいの両義性;贈与的次元を含む運動、それを打ち消す動き(再‐自己所有))
第4章 贈与をめぐる思索(贈与的なふるまい―“不可能なもの”との関わり;贈与、サクリファイスと模擬性=反復性;苦難の時そのものが新たに、未知なるものとして生き変わること;不可能なものという試練―絶えざる中断、再開始)

著者等紹介

湯浅博雄[ユアサヒロオ]
1947年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得。パリ第三大学大学院に留学。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部教授を経て、東京大学名誉教授。専門は、フランス文学・思想(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

12
エコノミーの回路から逃れ、見返りから解放された、「交換」ではない純粋な「贈与」は可能なのか。それ自体のうちに目的を持つ「贈与」について思考するために議論の俎上に乗せられるのは、キリスト教における「恩寵」であったり、ニーチェやアリストテレスらの思想だったりするが、根底にはバタイユの思想が濃厚に感じられた。永遠に到達できない「死」に近付く、極限体験としての「贈与」。それは決してクロノス的な時間の中で経験しきることができないという意味で、宙吊りの状態で問い直し続けられる。そしてそれゆえに価値あるものだとされる。2021/11/17

Mc6ρ助

9
自助、共助、公助、そして絆、なんて言われる以前から、共助に感じる幾ばくかの違和感。神戸の震災以来ボランティアの活躍は喜ばしいが、「ボランティアだから労災保険外」?爺さまの理解力を超える本書を読んでも、無宗教と言われる国での共助のドライビング・フォースに答えは得られない。『たとえば、他者の求め・・に応答して贈り物をすること。宗教・・がそうすべきだと説くように、自分の富(の貴重な部分)を犠牲にして、他なる人に贈り、譲ること。それは徳ある善き行いであり、人間としての責任・義務でもあるとされている。(p205)』2020/09/22

ひよピパパ

8
「贈与」に関わる論考。後半はかなり難解。「贈与」というと単に「贈り物」のことだけをイメージしがちが、本書はその奥の深さを教えてくれる。特に「贈与」が宗教的な「供犠」と関わる側面があることについて多くの示唆を得た。2023/12/18

aoi

4
面白過ぎた。 人はされた事受けた恩を意識的にも無意識的にも返そうとする、物理的精神的なものも含めて均等を取ろうとする…ってのはめっちゃ有るなぁ😣私は相手の望みを聞くと無意識に行動や思考を縛られる。またそれを相手に行うのを恐れて軽口でも思いを言えなくなる。そのループにハマりそうな相手とは関係を築けない。返せない贈与を貰うのは負担だ、罪悪感が生まれて負担になる。 純粋に贈与を贈るのも貰うのも本当に難しい。 唯一の純粋な贈与は自分に固有な特有で独特のなにかを手放し相手を迎え入れること…それなら出来るかもなぁ。2020/10/10

yu-onore

3
ちょうどイエスの死が、それ以降負債を人民へと背負わせルサンチマンを感じさせるようなものとなったとはいえ、一時的には経済を脱臼させて打ち止めにするようなものだったように、最終的には絶対贈与などできないのではないか、という矛盾を抱えながらも、それでもその宙釣りを経て贈与を行うという行為の、経済を一旦打ち止めにするような遊戯的なものとしての贈与の価値を見る。祝祭の中で法を破る暴力を通して、人は未踏の領域へと開かれるというバタイユは遊戯の性質としてもすごく面白い。2021/07/02

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