内容説明
大動乱の十四世紀、日本史に深く刻まれた南北朝時代。しかし南朝の実像は謎に包まれてきた。室町幕府に対し劣勢に立ちながら、吉野山中に長きにわたり存続できたのはなぜか。厖大な史料を博捜し、政治・文化的実体をもつ本格政権としての南朝に光を当て、起源である鎌倉時代の大覚寺統から後南朝まで「もうひとつの朝廷」の二百年を描き切る決定版。
目次
第1章 鎌倉時代の大覚寺統(大覚寺統の成立;両統対立の開始;両統対立の展開;両統の相克)
第2章 建武の新政(綸旨万能の成果と限界;軍事指揮と恩賞宛行;王統からみた建武の新政)
第3章 南朝の時代(南北朝の併立;後村上天皇の時代;長慶天皇の時代;後亀山天皇と南北朝の合体)
第4章 南朝を読みとく(南朝史料としての『新葉和歌集』;南朝の組織と制度;南朝と地方との関係;大覚寺統傍流の末路)
第5章 後南朝とその終焉(後南朝の皇胤たち;室町幕府の内紛と後南朝;両統迭立の終焉)
著者等紹介
森茂暁[モリシゲアキ]
1949年、長崎県生まれ。九州大学大学院文学研究科博士課程中途退学。現在、福岡大学人文学部教授。文学博士(九州大学1985年)。専攻は日本中世史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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kuroma831
25
鎌倉時代の持明院統と大覚寺統の争いから後南朝までの約300年を描く。両統迭立は鎌倉中期に皇位問題を自己解決できなかった朝廷が幕府に調停を求めたことから始まるが、皇統への介入は幕府自身が望んだのではなく、両統それぞれが自派に皇統を引き戻すための陳情という趣旨が強かった。そのため幕府は両統迭立の原則維持に拘ったが、兄の死で皇位が中継ぎ的に転がり込んだ後醍醐からすると、持明院統だけでなく兄の系統という2つの皇統がライバルとなり、皇位の定着を図るためにも両統迭立ルールやそれを担保する幕府の否定がテーゼとなった。2025/06/22
さとうしん
19
大覚寺統の血筋の恒明が北朝に身を投じつつ、その子息が南朝の護持僧になっているという現象、南朝が小規模ながらも朝廷としての要件を十分に備えていたという評価、南北朝の合一を成し遂げたとされる足利義満も、鎌倉時代以来の両統迭立の原則から完全に解放されているとは言い難いのではないかという指摘、後南朝が説話の世界では意外に長い寿命を保っていたという指摘などを面白く読んだ。2020/02/23
keint
11
後宇多天皇から後南朝の王子たちまでの大覚寺統の南朝の天皇・親王に触れながら南朝の歴史を記述している。 持明院統が幕府に近かったこと、両統を存続させることを鎌倉・室町両幕府が考えていたこと(足利義教によってその原則が破られること)などが、南朝を考察するにあたって重要なことを確認できた。2020/03/09
moonanddai
9
確かに歴史の教科書的には「南北朝時代」というのがありますが、山の中にありなんとなく公家っぽいイメージを持っていた「南朝」ですが、きちっとした朝廷活動(組織・制度・施設・文化的に)が行われていたことがわかりました。かつ後醍醐天皇に代表される王権至上主義の政治姿勢で、北の朝廷より武断的だったようです。南朝の萌芽は鎌倉中期にあり、「後南朝」と呼ばれ反幕府勢力に担ぎ出されたり、「説話」に登場する時代まで入れると、「南朝」というものは日本史の中で前後200年続いたとあります。相当根深いものがあるようです。2020/04/22
qwer0987
7
南朝の歴史をその始まりから語り起こしており、極めて読みやすく読みごたえもある。南朝は敗者であるため資料は残りにくいが、残ったあらゆる資料を調べることで、その姿を浮かび上がらせていく様は見事だ。いろいろ新鮮な視点が多く、南朝が訴訟において聖断至上主義だったことや、後醍醐天皇が中継ぎの役割だったことが彼の行動の遠因になっていたことや、南朝が落ち延びた後も朝廷の儀式を続けようとしていたことなど、いろいろ知れて勉強になった。良書である2022/09/26