内容説明
「メディアはメッセージ」「空間と時間の消滅」などの言葉を駆使、文明批評・メディア論で一九六〇年代を席巻したマクルーハン。英文学研究を起点とするその思想が抉り出したものは何だったのか。隠喩が持つ人間的思考の本質から、技術・社会・文化の問題へと探究の幅を広げ、焦点化されてくる「メディア」の偉力。究極のメディアとしての言語は思考を方向づけ、知を整形する。アルファベット・印刷術の発明を契機とする概念、視覚優位の西洋知の特異性を相対化してみせた知者マクルーハンの核心とは?
目次
第1章 マクルーハン旋風とは何だったのか
第2章 文学研究から世界の読み取りへ
第3章 レトリックとは思考方法の問題である
第4章 メディアとは言語であり隠喩である
第5章 カトリシズムとレトリックの知
第6章 知の抗争史としてのメディア論
第7章 口誦の知者ソフィスト・マクルーハン
著者等紹介
中澤豊[ナカザワユタカ]
1958年、新潟県生まれ。1982年、東北大学法学部卒業。電電公社(現NTT)入社。1991~97年、NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)設立に従事。1997~98年、トロント大学マクルーハン・プログラムにてシニアフェロー。現在、NTTスマートトレード(株)代表取締役社長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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かんがく
10
メディアはメタファーである。マクルーハンによるレトリックとメタファーとアフォリズムの塊なので難解だが面白い。60年代に大ブームを起こしたマクルーハンの思想をソフィストと重ね合わせて再評価した本。活版印刷の登場、テレビの登場の意義については歴史を考えるにあたって必須。2021/08/13
owlsoul
5
マクルーハンにとって「意味」とは、言葉に内在し一方的に運ばれるものではなく、受け手の感受性が生み出す体験である。情報が何を媒介して伝わるかによって受け手の体験は変化するため、媒介によって「意味」も変化する。つまり、メディア(媒介)自体がメッセージとなる。新しいメディアが誕生するたびに「意味」は変化し、それによって人間の価値基準も変化する。活版印刷の誕生が「活字人間」を生み出したように、技術革新によって「道具が人間を作り変える」のだが、我々はそのことに気づかない。新たなメディアは人に何を与え、何を奪うのか。2021/03/27
つまみ食い
4
マクルーハンだけでなく、マクルーハンが影響を受けた/与えたI.A.リチャーズ、イニス、ハヴロックなどのメディア論へのイントロダクションにもなっている。古代ギリシアから近世に至るヨーロッパの知的伝統の中にマクルーハンを位置づける後半の議論はスケールが大きいが、示唆的。2023/02/09
ぽん教授(非実在系)
3
現代思想の源流の一人とされつつも、カトリックに改宗し古典的な修辞学の復活を企てる保守的と思われる行為も行っている謎はどう解けるだろうか。メディアを読み解く文法とメタファー、という観点から専門馬鹿を徹底しておちょくるブリカス的な言説を行った現代のゴルギアス、という著者の解析は今まで読んできたマクルーハン像の中でも一番しっくりくる。2020/02/10
思弁的プリキュア
2
英語圏における修辞学のまとめとしてはとても良くマクルーハン理解につながるものだが、肝心のマクルーハン読解は「日本的なもの」に引きづられすぎている。2023/07/26