講談社学術文庫<br> 閨房の哲学

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講談社学術文庫
閨房の哲学

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  • サイズ 文庫判/ページ数 344p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784065153413
  • NDC分類 952
  • Cコード C0110

出版社内容情報

マルキ・ド・サド(1740-1814年)は、由緒ある貴族の家に生まれた。1755年には将校に任命され、七年戦争に従軍したが、賭博狂いと娼婦通いが始まる。女性を監禁・拷問した「アルクイユ事件」(1768年)、娼婦を相手にソドミーや毒薬を盛ったとされる「マルセイユ事件」(1772年)などのスキャンダルを起こし、以降、入獄と脱獄を繰り返したサドは、人生の三分の一以上を監獄の中で過ごした。フランス革命によって釈放されたあと、『ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』(1791年)を匿名で刊行。その後、『アリーヌとヴァルクール』(1795年)、本書『閨房の哲学』(同年)、『新ジュスティーヌあるいは美徳の不幸』(1797年)、『ジュリエット物語あるいは悪徳の栄え』(1797年)、『恋の罪』(1800年)と、精力的に執筆を続けたものの、シャラントンの精神病院でその生涯を終えた。
20世紀になってようやく本格的に読まれるようになり、アポリネール、ブルトン、バタイユ、クロソウスキー、ブランショといった人々から高い評価を受けたサド作品の最初の一冊として、本書『閨房の哲学』は絶好の作品だと言える。少女ウージェニー、サン・タンジュ夫人、ドルマンセの三人を中心に進められる物語は、会話や議論を行うシーンとその実践としての乱交のシーンが交互に繰り広げられ、その展開の中から独自の反革命思想が立ち上がってくる。とりわけ、その政治思想が開陳されるパンフレット「フランス人よ、共和主義者になりたいなら、もうひとがんばりだ」は圧巻である。その他、テンポのよい展開、時にコミカルな雰囲気を帯びる会話の妙、比較的マイルドな内容、そしてサド哲学のエッセンスをまとめた明瞭さなど、優れた点を多くもつ。
本書は、第一人者が初めてサド作品の翻訳を手がけた一冊である。広く読まれたものの今日では問題があると言わざるをえない澁澤龍彦訳で知られる本作品の真の姿を文庫版の新訳で味わうとき、サドという作家、そしてサドという思想家の底知れぬ可能性が浮かび上がってくる。

内容説明

由緒ある貴族の家に生まれたマルキ・ド・サド(一七四〇‐一八一四年)は、数々のスキャンダルで入獄と脱獄を繰り返し、人生の三分の一以上を獄中で過ごした。次々に発表された過激な作品群のうち、本書は特に読みやすい内容をもつ上、サド哲学のエッセンスが盛り込まれている。第一級の研究者がついに手がけた「最初の一冊」に最適の決定版新訳!

著者等紹介

サド,マルキ・ド[サド,マルキド] [Sade,Marquis de]
1740‐1814年。フランスの作家。数々のスキャンダルで生涯の三分の一を獄中で過ごしつつ執筆活動を展開した

秋吉良人[アキヨシヨシト]
1961年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。専門は、フランス文学・思想、精神分析(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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ケイ

120
快楽を追求するとはどういうことだろうか。少なくともサドの追求方法は間違っているだろう。挿絵無しには理解できない体位をとって果たして快楽が増すだろうか? 神を冒涜してやりたいと思うがあまり、その手段にとらわれ、彼らの性行為は、行為そのものよりも背徳感からより多くの快楽を得ていると思える。道徳や信心を厳しく両断する彼の論理展開は、それなりにスジが通っているようにみえるが、彼自身の根拠もまた虚しい。刑務所暮らしの長さも、妄想が刺激される一因だったろうか。所詮、悪魔の高笑い如きもの。2019/07/13

刳森伸一

5
作者不詳のリベルタン文学『女哲学者テレーズ』に対抗して書かれたであろうサドの後年の作品。放埓な性行為を描くパートと、その哲学的裏付け(というか屁理屈)を開陳するパートとが交互に描かれる。性行為パートはところどころ笑ってしまうくらいには面白いが、他のサドの作品と同様に冗長で途中であきる。哲学パートは、要するにキリスト教的価値観や道徳心などは「自然」に反する行為であり、それらと反対の行為を取ることが人間にとってのあるべき姿であるというもの。こちらも冗長で疲れてしまう。2021/01/27

月と星

5
★★★★演劇形式で独特の哲学的議論が続く。挿絵で理解した体位もあり,笑うしかない。2019/06/06

毒モナカジャンボ

3
神(と付随する道徳、慣習)を追放した理性の極限が顕現している(啓蒙の弁証法)。無神論、唯物論、自由主義、快楽主義、反-家父長制、反-人間主義、「自然と一致して生きよ」の苛烈な再考。現代のAVにみられる身体の使い方がほとんど出てくる(ないのは身体拘束くらいか)ので極めるのが早すぎると思う。ネオダーウィニズム右派と相性が良さそうですね。惜しいのは瀆神の絶叫を快楽の為に使うところ。基本的には神を無視して身体の唯物的快楽を徹底するのだが、ここでは快楽のために冒瀆すべき神を要請するという転倒が否定しきれていない。2019/09/14

安藤スミス

1
高尚な官能小説。澁澤龍彦ではないマルキ・ド・サド。 設定から展開から何から何までやべぇやつ。途中正気に戻って哲学めいたことが始まるけれども、作者のイデオロギー前回でよい。当時からすればそりゃまぁ作者は投獄されても仕方ない。 そうやって笑ってられるのも現代ならばこそだと思っているが、現代でも似たような魔女狩りめいたことが始まっているのは大変良くない。

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