出版社内容情報
文化の担い手、主役は町人!
50歳を過ぎてから天文を学び、日本をくまなく測量し精密な地図をつくった伊能忠敬とは?
<監修者のことば>
「日本の風景」といえば、見渡す限りの田園風景を思い浮かべるひとが多いでしょう。
この風景の多くは、江戸時代になってつくられました。
各地で治水の普請(土木工事)がおこなわれ、それにともなって新田が開発されて、
生産力も向上しました。
その意味では、江戸時代は「民富の時代」であったのです。
戦争がなければこそ、生産力の向上に、あらゆる力を注ぐことができました。
そのなかで、百姓・町人などの庶民において、独自の文化が花開きました。
しかし、その反面、米価が安くなったり、物価が高くなったりしたために、
武士や武士の政治機構(幕府・藩など)は、窮乏化が深刻になりました。
幕府もいくどか財政を立て直そうと考えます。8代将軍徳川吉宗は、享保の改革のなかで、
米価の安定化をはかるなどしていますし、田沼意次も重商主義の政策をとりました。
諸政策には、成功も失敗もありましたけれども、窮乏化の抜本的な解決には至りませんでした。
そのいっぽうで、江戸時代後期、「鎖国」政策のなかにあった日本でも、
海外からの脅威の足音が聞こえてきました。
すこしずつ、世のなかは動いていったのです。