講談社選書メチエ<br> なぜ私は一続きの私であるのか―ベルクソン・ドゥルーズ・精神病理

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講談社選書メチエ
なぜ私は一続きの私であるのか―ベルクソン・ドゥルーズ・精神病理

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  • サイズ B6判/ページ数 242p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784065135198
  • NDC分類 493.7
  • Cコード C0310

出版社内容情報

オートポイエーシスという閉じた系の身体から、どうして意識が、さらに一続きの反復として「私」がどのように立ち上がってくるのか。私の身体と私の意識。身体の生はオートポイエーシスという閉じた系であるのに、意識はそのつどの神経ネットワークを物質的基盤としつつも「私」が立ち上がるに際しては外部へと連結する開口部を持たなければならないという矛盾。脳科学研究が「意識」の物質への還元を方向付けるなか、20世紀初めにはベルクソンが反駁の理論を打ち立てた。
意識という現象はいったい何なのか。脳の働きとの関係はどうなっているのか。それは「私」という一続きの事態をどう成立させているのか。
精神病理学者である著者が、さまざまな症例を引き、ベルクソン・ドゥルーズの理論を参照しながら、「私」の立ち上がる現場を突き詰めていく。


兼本 浩祐[カネモト コウスケ]
著・文・その他

内容説明

私が確固として同一であるという信念はどこから来るのか。脳の生物的デフォルトから同一性は導かれないのではないか。意識という機構が「外」を表象として立ち上がらせるとき、その都度の表象という出来事が反復されるとき、影絵のように浮かび上がってくる「私」。表象とは何か、それは私の一貫性とどう繋がってくるのか。ベルクソンの記憶・縮約、ドゥルーズの差異・反復などの概念、また精神科症例を参照し精神病理学者が「私性」の謎に迫る。

目次

第1章 同じものが同じになる時、同じでなくなる時
第2章 「私」が成立する脳的条件
第3章 物来りて我を照らす
第4章 面前他者を了解すること―精神病理学の営み
第5章 ベルクソンと脳科学
第6章 普遍論争を再考する―馬性は馬性以外の何ものでもない
第7章 行為としての臨床哲学
付録 脳内散策のための小マップ

著者等紹介

兼本浩祐[カネモトコウスケ]
1957年生まれ。京都大学医学部卒業。現在、愛知医科大学医学部精神科学講座教授。専門は精神病理学、神経心理学、臨床てんかん学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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アキ

78
わたしとは誰であるのか?精神科医である著者は、医師としての経験を通じて、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」としての主体ではなく、西田幾多郎の「物来りて我を照らす」の対象から見たわたしを考える。ドゥルーズ「差異と反復」を引用し、ベルクソンの縮約をキーワードに、対象が同一性を保つことが、数十ミリ秒の単位で同期する大脳を持つ人が人である構造的な条件であると考える。わたしという意識は、対象が私を規定する還元論者が主張する確固たるものではなく、か細く絶えず存続しようと努め続けているような何事かではないかと主張する。2020/03/10

夜長月🌙@読書会10周年

67
私は私を自分と認識して他人と区別しています。自分の心は自分だけがわかります。この心とは何でしょう。私は科学的には突き詰めると心とは脳のことだと思っていました。しかし、脳科学では心と脳は同一ではありません。例えば「桜は美しい」という言葉で指している桜は自分と他人ではそれぞれ異なります。具体的な桜ではなく抽象的な桜ではありますが真の桜というものが無いのですから人それぞれが個人的な体験を通じて違う桜を思っていることになります。この現実の桜と記憶上の桜の違いが脳と心の違いでもあります。2023/05/23

YO)))

21
私が一続きの私であること、面前する他者が以前相対したのと同じ他者であること、靴が(一期一会的な”靴のようなもの”ではなく)間違いなく靴というものであること─。それぞれに複雑で不思議で、危うい。統合失調症などの症例を例示し、危うさの基盤、或いは向こう側にある「そうではない世界の可能性」に寄り添う著者のまなざしに、時にハッとする。2019/06/29

しゅん

19
「私」の意識はどこからやってくるのか。哲学者・科学者たちから得た学びと、精神病理の人々との関りを重ねて考える。興味深かったのは体と「私」の距離。ボディビルダー、マッスル北村は僅かな体の緩みも許せず、実質上の餓死に至った。死を辞さない執着は、対象が身体だからこそ生まれる(本文では床屋の名人のハサミと対照されている)。身体は意識から近いようで遠く、「私」の身体意識は外からやってきて受肉する。この身体の外部性というものが、自分にはなじみ深く、「私」のおぼろげな招待を考える上での大きなヒントになると思った。2022/04/11

テツ

18
「私」の成り立ちと持続性について、精神科医の著者がドゥルーズ、カント、ベルクソンのお話と共にメンタルを損なった方々の様子等を含み思考を積み重ねる。「私」を成り立たせるのに必要なのは、ぼくの内側から生まれる不思議な何かではなく、膨大な数の他者から認識される「私」の不確かな姿なのではないか。ぼんやりとした像を勝手に構築され、それに合わせるように自分を成り立たせる。もしかしたら自分の姿さえ自分では手が出せず創ることができないのではないかという考えに至り恐怖する。面白かったです。2023/01/25

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