出版社内容情報
沖縄から本土に向かった学童疎開船対馬丸は米の攻撃で沈没する。生存学童五〇余名。忘れてはいけない悲劇、それは何故起きたのか?昭和一九年八月、沖縄から本土に向かった学童疎開船対馬丸はアメリカ潜水艦の魚雷を受け、深夜の海に沈んだ。乗船者一六六一名、うち学童八〇〇余名。生き残った学童はわずか五〇余名。戦争完遂という大義名分のもとに実施された疎開事業における最大の悲劇は、なぜ起きたのかを伝える名著。
戦争についての記憶を21世紀に伝える重要な文学作品だ。
―佐藤優(作家・元外務省主任分析官)
この著作の主人公は子どもたちであり、本はそれを代弁するに過ぎない。子どもたちの親兄弟も残り少なくなった。せめて、この本がその慰めのいくらかをも果たせればと願う。―大城立裕(「文庫版あとがき」より)
いのちがけの教育
行くも地獄、残るも地獄
親と子と
不気味な前夜
集合
たそがれの出航
無邪気な乗客
今晩はあぶない
撃沈
死とたたかう漂流
役に立った手旗(仲宗根正男の話)
助けあいながら(阿波連休子の話)
幼い知恵と意志で(宮城啓子の話)
わんぱくも参った(田場兼靖の話)
泣きべそと夜光虫(名城妙子の話)
愛児の死をみながら(田名宗徳の話)
むなしい上陸
校長が殺したか
燃えろ、燃えろ……
付録
あとがき
大城 立裕[オオシロ タツヒロ]
著・文・その他
内容説明
昭和一九年八月、沖縄から本土に向かった学童疎開船・対馬丸はアメリカ潜水艦の魚雷を受け、夜の海に沈んだ。乗船者一六六一名、うち学童八〇〇余名。生き残った学童はわずか五〇余名。戦争完遂という大義名分のもとに実施された疎開事業における最大の悲劇が、なぜ起きたのかを伝える名著。
著者等紹介
大城立裕[オオシロタツヒロ]
1925年沖縄県中頭郡中城村生まれ。沖縄県立二中を卒業後、上海の東亜同文書院大学予科に入学。敗戦で大学閉鎖のため、学部中退。’47年琉球列島米穀生産土地開拓庁に就職。’48年野嵩(現普天間)高校教師に転職し文学と演劇の指導にあたる。’49年「老翁記」で小説デビュー。’67年「カルテル・パーティー」で芥川賞受賞。また沖縄史料編集所所長、沖縄県立博物館館長などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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駄目男
hatasatohito
Ikuto Nagura
あかりんご
牧神の午後