出版社内容情報
知の巨人は「日本」をどう見たか。『文明の生態史観』と『知的の生産技術』の間に書かれた梅棹学のターニングポイント、文庫化!梅棹忠夫こそは、戦後日本に屹立する知の巨人です。若き日に『モゴール族探検記』『文明の生態史観』『知的生産の技術』をひもといた人は多いのではないでしょうか。しかし、ここにもう一冊、あまり知られていないスゴイ本があります。それが本書『日本探検』です。
1955年のカラコルム・ヒンズークシ学術探検、1957年の第一次東南アジア探検から1961年の第二次東南アジア探検までの数年間、梅棹には一見「小休止」ともみえる時期があります。しかし、そんなことはありません。この期間にも彼の知的関心はやむことなく、その視線は「日本」に向いていました。それまでの探検で培った比較文明的、巨視的手法でみずからの生まれた社会を対象化したのです。
1959年に『中央公論』誌上ではじまった連載は7回にわたり、そのうちの4回分が翌年に単行本となりました(著作集では第5回の「事務革命」[大阪本町]を除くものが収録され、新たに著者自身による解説的な新稿が付されています。今回の文庫はそれに基づきます)。このあと梅棹は国立民族学博物館の設立という大事業に乗り出していくわけですが、「日本探検」は梅棹学が生態学から文明学、情報学へとフィールドを拡げていくうえでの転換点であったと位置づけられます。
本書の冒頭にはこう記されています。
「なんにもしらないことはよいことだ。自分の足であるき、自分の目でみて、その経験から、自由にかんがえを発展させることができるからだ。知識はあるきながらえられる。歩きながら本をよみ、よみながらかんがえ、かんがえながらあるく。これは、いちばんよい勉強の方法だと、わたしはかんがえている」
これぞ、梅棹の学問のありかたの神髄といえましょう。今回、初の文庫化で多くの読者の手に届くことを願います。
福山誠之館
大本教
北海道独立論
高崎山
*中央公論社刊『日本探検』のためのあとがき
名神高速道路
出雲大社
空からの日本探検
*『日本探検』始末記
梅棹 忠夫[ウメサオ タダオ]
著・文・その他
内容説明
知の巨人はそれまでの探検で培った巨視的手法で己れの生まれた「日本」を対象化する。「文明の生態史観序説」と『知的生産の技術』の間に書かれ、梅棹学の転換点となった“知られざる主著”が初の文庫化!
目次
福山誠之館
大本教
北海道独立論
高崎山
名神高速道路
出雲大社
空からの日本探検
『日本探検』始末記
著者等紹介
梅棹忠夫[ウメサオタダオ]
1920年、京都に生まれる。京都帝国大学理学部卒業。理学博士。1955年京大カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊に参加。京都大学教授。国立民族学博物館の創設に尽力し、初代館長となる。1994年文化勲章受章。2010年、90歳で死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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