講談社学術文庫<br> 日本人の「戦争」―古典と死生の間で

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講談社学術文庫
日本人の「戦争」―古典と死生の間で

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  • サイズ 文庫判/ページ数 269p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784062921343
  • NDC分類 210.19
  • Cコード C0130

出版社内容情報

あれもこれもすべて、われわれが戦争を思い出すことをやめてしまったせいだ。一人の戦中派が書きつづけた、死者と対話。古典と対話。正成、信長、二・二六、そして「あの戦争」。日本人にとって戦争とはなんだったのか。なぜ「あの戦争」はあれほど悲愴な戦いになったのか。なんのために死んだのか。なにより、なんのためなら死ねると言えたのか。「戦中派」思想史家は、同年輩の死者たちの中断された問いかけに答えるため、死者と対話し、古典と対話する。痛恨の論考。鎮魂の賦。(講談社学術文庫)

まえがき
【1】日本人の「戦争」――古典と死生の間で
 1 実感と「抽象」
 2 「僕は妣の国に往かむと欲ひて……」
 3 言霊の戦い――「海行かば」
 4 修羅の戦い――「七生報国」
 5 信長の戦い――「滅せぬ者のあるべきか」
 6 「国民」の戦争
   ――「朝日に匂ふ日の本の 国は世界に只一つ」
 7 歴史の中の「戦争」――「見るべき程の事は見つ」
【2】「開戦」と「敗戦」選択の社会構造
   ――“革命より戦争がまし”と“革命より敗戦がまし”
 1 “戦争か平和か”の選択でなく
 2 「国体」を支える社会構造
 3 二・二六事件の後に
 4 農地調整法と企画院事件
 5 先制攻撃をうける懸念
 6 内戦への懸念
 7 革命か敗戦かの選択
【3】天皇・戦争指導層および民衆の戦争責任
 1 半世紀後の戦争責任論
 2 天皇の戦争責任
 3 戦争指導層の戦争責任
 4 民衆の戦争責任
【4】日本の「戦争」と帝国主義
   ――空腹の帝国主義と飽食の帝国主義
 1 帝国主義の昔と今
 2 金銭と暴力――シャイロックから帝国主義へ
 3 日本の「戦争」――空腹の帝国主義
 4 現代の帝国主義と超帝国主義
【終章】特攻・玉砕への鎮魂賦
 1 「汝心あらば 伝へてよ玉のごと われ砕けにきと」
 2 『戦友』と『同期の桜』
 3 鎮魂の賦
初版あとがき
新版のためのあとがき
解説


河原 宏[カワハラ ヒロシ]
著・文・その他

内容説明

正成、信長、二・二六、そして「あの戦争」。日本人にとって戦争とはなんだったのか。なぜ「あの戦争」はあれほど悲愴な戦いになったのか。なんのために死んだのか。なにより、なんのためなら死ねると言えたのか。「戦中派」思想史家は、同年輩の死者たちの中断された問いかけに答えるため、死者と対話し、古典と対話する。痛恨の論考。鎮魂の賦。

目次

1 日本人の「戦争」―古典と死生の間で(実感と「抽象」;「僕は妣の国に往かむと欲ひて…」 ほか)
2 「開戦」と「敗戦」選択の社会構造―“革命より戦争がまし”と“革命より敗戦がまし”(“戦争か平和か”の選択でなく;「国体」を支える社会構造 ほか)
3 天皇・戦争指導層および民衆の戦争責任(半世紀後の戦争責任論;天皇の戦争責任 ほか)
4 日本の「戦争」と帝国主義―空腹の帝国主義と飽食の帝国主義(帝国主義の昔と今;金銭と暴力―シャイロックから帝国主義へ ほか)
終章 特攻・玉砕への鎮魂賦(「汝心あらば伝へてよ玉のごとわれ砕けにきと」;『戦友』と『同期の桜』 ほか)

著者等紹介

河原宏[カワハラヒロシ]
1928~2012。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。政治学博士。早稲田大学助教授、教授、1998年に退職し名誉教授。日本政治思想史専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

駒場

7
戦中派の学者による太平洋戦争の総括。支配層が「革命より開戦を」「革命より敗戦を」で選んだ戦争は、結局のところ『軍人勅諭』的なものも「天皇のための戦争」も日本人の実感(古典のような)を伴わないタテマエを多分に含み、国民の戦争たりえずただの「抽象」が人の生死を覆った。個人的に興味深かったのは近衛が天皇の戦争責任について語った「退位して出家して戦死者を弔うしかない(意訳)」という道をとれば、もしかするとその後天皇家とアジアの繋がりも開け、皇族の一人くらいアジアの大学に留学することもあったんじゃなかろうかという話2021/08/11

takam

7
日本人の明治維新から第二次世界大戦に至るまでの系譜は自己矛盾という言葉に尽きるかもしれない。日本流にいえば本音と建前というものだと思う。その系譜は未だに続いていると思う。欧米から思想やシステムを輸入しても、頭では分かっているようでも規範までには落とし込むことはできない。自己矛盾が発生した例として顕著なものでいえば、私有財産を共産主義から守ろうとした「治安維持法」と「国家総動員法」の矛盾した法律であろう。大戦前の日本は革命から国体を守ることを常に考えていたと思う。その帰結が全員で破滅を迎えるという皮肉だった2020/08/23

ドクターK(仮)

3
近代日本の黎明期である日露戦争の頃までは、日本人には死してなお帰るべき「妣の国」があった。しかし、近代日本の終末期とも言える大東亜戦争時には、そうした実感を伴った故郷の感覚は薄れ、代わりに主義やイデオロギーといった「抽象」が存在感を増していった。「ホンネ」と「タテマエ」の距離があまりにも離れてしまうと、人は不安や焦燥を覚える。戦後の日本人は、こうした感覚を無意識のうちに怖れ、それを忘れるために経済成長に邁進したのではないのだろうか。「あの戦争」に対する、著書の根源的な問いかけを無視するわけにはいかない。2017/05/04

まみよろ

3
本のタイトルにもなっている第一章の「日本人の戦争」の部分が一番著者の考えが表れていて興味深い。全般として過去との対話を意識して著述していると感じた。良書2013/06/13

ykoro

2
開戦当時の日本の空気が、驚くほど、国民全体として、開戦を望んでいたことが、日記を通じて理解できる。米国留学体験者や英国文学者さえもご熱狂的に対米戦争支持なのには驚く。このように、当時の時代を生きた生の声を、日記のような一次資料から読み解くのは、重要と思う。 また、「戦いに負けて占領軍が入ってきたので、自由が束縛されるというのならわかるが、逆に自由を保障されたのである。なんという恥ずかしいことだろう。」という昭和20年8/29高見の日記は、当時の国民の印象を、端的に表していると思う。2013/01/06

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