内容説明
永井均は今と同じあり方で存在しながら、彼が私でなくなることは想像できる。このとき、彼には何の異変も起きていない。しかしもはや彼は私ではない。この私を“私”と表記しよう。“私”から展開される永井哲学は、他者や倫理など根源的な問題を刺戟し続けてやまない。著者自身、「本書こそが独在論の入門書として最もふさわしい」と断ずる必読の哲学書。
目次
1(他者)
2(独在性と他者―独我論の本質;ウィトゲンシュタインの独我論 ;独我論と他者―あるいは宇宙の選択の問題)
3(独在性の意味―山田友幸氏の批判に答え、入不二基義氏の所論を批評する;独在性の意味(二)―大庭健氏の批判に答え、入不二基義氏の所論を更に検討する)
5(書評1・大森荘蔵著『時間と自我』;書評2・野矢茂樹著『心と他者』;書評3・B・マクギネス『ウィトゲンシュタイン評伝』 レイ・モンク『ウィトゲンシュタイン 1・2』)
5(差異と実質―ヴィトゲンシュタイン・ソシュール・フッサール)
著者等紹介
永井均[ナガイヒトシ]
1951年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得。現在、日本大学教授。専攻は、哲学・倫理学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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yogi
6
この本を読んでしまっている私はわたしなのかと私が思いわたしは読む見る追うとりあえず文字を全部見るとわたしが私に私は思う何年たってもわたしはわたしだなーと私はわたしが好きだ。わたしが考えたのか私が考えたのか私は判別に困ったが多分わたしと云うことにする。その内容は剣崎順vs高嶺竜児最初の戦いだそして剣崎順vs香取石松戦だ最高だ好きだ〜好きなんだ剣崎順と私が呟くするとわたしはヘルガーと叫び私がお前それ嘘やろーお前は誰やねんと私突っ込んだわたしは突っ込まれ嬉しい^o^2015/03/27
テツ
5
『私』という存在の独自性を言語化して説明することの難しさ。『私』と『他者』との違いについて。『私』固有の意識の生成について。あたりまえのことではあるんだけれど『私』という存在の難解さとそれについて考えるときの驚きは何時まで経っても終わらない。著書を読んだり講義を聴いたりで永井哲学にはそこそこ親しんでいるつもりだけれど読み進めていくうちに理解しきれず飛ばした部分も多々あるのでまた再読したい。2015/05/19
袖崎いたる
4
あとがきの茂木健一郎がかわいい解説をつけておる。脳科学者としてというより、いちファンとして書いている観があって微笑ましい。この本では大澤真幸・橋爪大三郎の極度に抽象的なる「身体」概念が扱われているのが印象的であったわい。そいと、永井均哲学批判に対する永井均その人の反論がミモノ。後ろの方では珍しくフッサールとウィトゲンシュタインとソシュールとが並べられて論じられていて、これはこれで楽しい。他者論や独我論について気掛かりなお人はこの本がちょうどいいのではないかしら。でも永井はこの本が独在性の入門書にはいいと。2024/09/26
阿蘇の史(さかん)
4
永井氏の議論は形式的には理解できる。しかし彼の言う「驚き」は残念ながら共有できない。「ウィトゲンシュタインの独我論」において永井氏は独我論の実在論への「帰着テーゼ」を「独我論の通俗的解釈に足を掬われた典型的な謬見」と見なし、「私の存在の比類なさ」を主張する「独在テーゼ」の側に強烈な説得力を感じると言うが、私は全く逆だ。「独在性」の方だけに執拗にこだわり続けるのは事態の片側面しか捉えていないように思う。そういう意味で、独在化の運動と相対化の運動を等価的に捉える入不二氏の所論の方がすんなり胸に落ちる。2012/02/24
らむだ
3
なんとか読了。言っていることは分かったが、内容を理解できたかというといまいち……。もう少し基本的なことを抑えてから再読したい。2013/05/22