出版社内容情報
かつて共産党が輝いていた時代があった。しかも道徳的優位性をもって。それはなぜか? 非転向の指導者が語る敗戦直後のベストセラー かつて共産党が輝いていた時代がありました。しかも道徳的優位性をもって。それはなぜか?
敗戦直後の、あらゆる価値が崩壊したかに見えた世相にあって、信念を貫いた「アカ」の姿は、自信を喪った者、転向の負い目をもつ者、新しい時代に希望を抱く者にとってどれほど眩しく見えたかは多くの若者や文学者が続々と入党、再入党したことからも明らかです。なかでも金看板だったのが徳田球一と志賀義雄の「獄中十八年、非転向」でした。
昭和21年(1946)2月、ふたりは時事通信社のすすめで、共産主義者としての来し方を口述し、出版しました。それが本書『獄中十八年』です。親しみやすい語り口もあってベストセラーとなりました。
巻頭に「われわれは何等むくいられることを期待することなき献身をもって、全人民大衆の生活の安定と向上のためにたたかうであろう」と掲げた本書はこう始まります。
「共産主義者にとって、なによりもたいせつなことは、利己心を去るということである。労働者、農民、そのほか一般人民大衆のために、ほんとうに全身をささげるということである。大臣になりたいとか、金持になりたいとかいう考えはむろんのこと、どんな社会的地位にたいしても、それをほしがるような気もちがあってはならない。役得をしようなどという気がこれっぽっちでもあっては、革命運動はなりたたない。/利己心を去りきるということは、口でいうほどにやさしいことではないが、いやしくも共産主義者であるかぎり、心がまえはいつもそこになければならない。その心がまえがあってはじめて、ほんとうに共産主義者として、また革命家としての勇気がうまれてくる。また正しい認識もそこから生れるし、判断力もたしかになり、生活力もつよくなる。たまたま考えが行動のうえで過ちをおかしたばあいにも、この心がまえがしっかりしていれば、すぐさまその過ちに気がつき、正しい方向に自分をたてなおしてゆくことができる。このようにして、たとえ部分的にはあれやこれやの過ちはあっても、根本的には、いつも正しい道をあぶなげなく進んでゆくことができる」
本書は多くの人びとを動員した政治的文書であると同時に、ある時代の息吹を伝えるすぐれた文学的回想でもあります。文芸文庫に収録するゆえんです。
◎徳田球一篇
小さな正義派/親孝行でとおる/小学校で最初のストライキ/七高生から代用教員/郡役所書記/ふたたび東京へ/米騒動に参加/司法官試補の二ヶ月/弁護士時代/日本共産党を組織/労働戦線統一と第二回党大会/早大の反軍教闘争/少年シンパ/市ヶ谷でむかえた大震災/勉強室としての監獄/長老連の解党論と党の強化/三・一五に捕わる/佐野学らの裏切り/公判闘争/網走─氷のこんぺいとう/監獄領地の農業/監獄の花/お針と糸つむぎ/侵略戦争反対のたたかい/しいたげられているものがもっともよく理解する/親切な囚人たち/獄死した同志のことども/獄中の読書/お天気てんぐになるまで/千葉、小菅、豊多摩、府中/終戦の前後/むすび
◎志賀義雄篇
おいたち/中学生で米騒動に参加/一高入学─学生運動へ/三・一五/牢獄は革命家の試金石/はがねは鍛えられてできる/解党派まず屈服/公判闘争/佐野学らのうらぎり/こおりのなかで/サケ網をすく/トビとカラス/監獄の四季/戦争と監獄と坊主と/七年ぶりの春かぜ/アサリ汁と手錠/佐野・鍋山にあう/予防拘禁所/空襲下に/「人民管理」は拘禁所でうまれた/自由の扉
徳田 球一[トクダ キュウイチ]
著・文・その他
志賀 義雄[シガ ヨシオ]
著・文・その他
内容説明
かつて、共産党はたしかに輝いて見えた。しかも道徳的な優位性をもって。国家の弾圧に抗して信念を貫きとおした非転向の「アカ」。その代表選手たる徳田と志賀の、ふしぎに明るい語り口は、過去のあやまちを悔いる者にはあまりにも眩しく、新しい日本に希望を抱く者には自信を与えた。敗戦直後という時代の息吹を伝えるベストセラー。
目次
徳田球一篇(小さな正義派;親孝行でとおる;小学校で最初のストライキ;七高生から代用教員;郡役所書記 ほか)
志賀義雄篇(おいたち;中学生で米騒動に参加;一高入学―学生運動へ;三・一五;牢獄は革命家の試金石 ほか)
著者等紹介
徳田球一[トクダキュウイチ]
1894・9・12~1953・10・14。政治家、社会運動家。沖縄県生まれ。第七高等学校中退、日本大学卒業。1921年に弁護士となり、1922年にモスクワでの極東勤労者大会に出席、帰国後、山川均・堺利彦らとともに日本共産党を結成、中央委員となる。1928年の3・15事件で検挙されるも、獄中にあって最後まで転向しなかった。1945年に出獄し、ただちに共産党を再建、書記長に就任。衆議院議員として当選3回。1950年、マッカーサー指令により追放され、地下に潜行、北京で客死。「徳球(トッキュウ)」の愛称で親しまれた
志賀義雄[シガヨシオ]
1901・1・12~1989・3・6。政治家、社会運動家。福岡県に生まれ山口県で育つ。第一高等学校、東京帝国大学文学部卒業。1923年、日本共産党に入党。1927年、党政治部長となる。3・15事件で検挙され収監、徳田球一同様に日本敗戦まで獄中非転向を貫く。1946年、衆議院議員当選。1950年の党内対立では国際派に属す。1964年、党の決定に背き部分的核実験停止条約の批准で賛成票を投じたことから除名される。ソ連支持の「日本のこえ」(のち党名を「平和と社会主義」に変更)を結成し、全国委員長、議長となった(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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