講談社文芸文庫<br> 凡庸な芸術家の肖像〈上〉―マクシム・デュ・カン論

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講談社文芸文庫
凡庸な芸術家の肖像〈上〉―マクシム・デュ・カン論

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  • サイズ 文庫判/ページ数 526,/高さ 16cm
  • 商品コード 9784062902717
  • NDC分類 950.28
  • Cコード C0195

出版社内容情報



蓮實 重彦[ハスミ シゲヒコ]
著・文・その他

内容説明

畢生の大作『「ボヴァリー夫人」論』(二〇一四年)の執筆がすでに開始されていた一九七〇年代、著者の心奥深くに忽然と燻りだした一九世紀フランスの作家マクシム・デュ・カン。今では“フロベールの才能を欠いた友人”としてのみ知られるこの謎多き人物の足跡をたどる本書は、あなた自身ではないあなたの物語でもある。凡庸とは、才能とは何を意味するのか。現代批評の頂点。

目次

『凡庸な芸術家の肖像』への序章
『凡庸な芸術家の肖像』第1部(蕩児の成熟;蕩児は予言する;特権者の代弁;開かれた詩人の誠実;韻文の蒸気機関車 ほか)
『凡庸な芸術家の肖像』第2部(崩壊・転向・真実;夢幻劇の桟敷で;外面の痛み=内面の痛み;シチリア島の従軍記者;ふたたび成熟について ほか)

著者等紹介

蓮實重彦[ハスミシゲヒコ]
1936・4・29~。フランス文学者、映画批評家。東京都生まれ。東京大学仏文学科卒業。パリ大学にて博士号取得。東京大学教授を経て、東京大学第26代総長。1978年『反=日本語論』で読売文学賞、89年『凡庸な芸術家の肖像』で芸術選奨文部大臣賞を受賞、99年にはフランス芸術文化勲章コマンドールを受章する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

しゅん

15
名著中の名著。「フローベールの恩知らずな友人」としてしか文学史に登場しない作家マクシム。「凡庸さ」という概念は19世紀中葉に発生した歴史的なものであり、それが現代の我々をも規定していることを証明するための長尺な物語は、一人称が「話者」、「わたし」は語り手ではなくマクシムを表すための代名詞として使われるという破格の人称操作により、語ることそのものに含まれる虚構性を暴いていく。物語であり同時に批評でもあるような言葉の複数性は、我々の貧しさを鋭く刺せば刺すほどに豊かに感じれられていく。前代未聞の読み心地だ。2017/12/31

しゅん

8
再読。ここで紹介されているマクシム・デュ・カンの書籍が全く面白くなさそうなのにも関わらず、マクシムを物語る本書がひたすら面白いことの不均衡を改めて味わう。「芸術家とは、この(=自分を芸術家にしたい)欲望の共有者たちを示す厳密に歴史的な名称に他ならない」から「あらゆる芸術家は、定義からして凡庸な連中なのだ」という文章に出会った時の、胸がすくような気分はなんなのだろう。本書を含めて優れた「芸術」と思う対象は沢山あるが、ではその製作に関わる人々を何と呼べばいいのだろうか。この問い自体が間違っているだろうか。2021/10/08

hitotoseno

8
『『ボヴァリー夫人』論』によると、『ボヴァリー夫人』の話者は、1843年(つまり研究者たちが『ボヴァリー夫人』の時代設定と想定している年代)にパリ〜ルーアン間に開通した鉄道について、それが元からないもののごとく見做して物語を進めていると思うと、ある時急に「汽車駅」の存在に言及し始める、といった具合にとにかく融通無碍な扱い方をしているという。それを読みながら、ふと本書にも「韻文の蒸気機関車」という章があることを思い出した。2020/10/30

三柴ゆよし

8
じぶんが批評なるものに求める「エモさ」(大嫌いな言葉です)、そのすべてが詰まったと言っても大袈裟ではない感動的な書物。感想は下巻で。2020/10/28

kana0202

3
感動的な書。凡庸という、現代に生きるわれわれが避けて通れないものが、いかにデュカンという人の生の周りに吸い付けられたか、いや、逆に凡庸という磁場に引き込まれ続けた男としてのデュカンがいかなる生をおくったか。そこに近代的な装置とそれに伴い、生じてくる今では凡庸としか映らない様々な、身振り。芸術が意味もなく崇拝され、音楽は意味もなく脱政治化された現代になんらかの気詰まりを感じる人々にとって、歴史化、虚構化の作用の不可視の浸透を自覚させ、凡庸を肯定的に、しかし、それに同調せず生きるために役立つのではないか。2021/11/07

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