出版社内容情報
生活を愛し慈しみ、多くの人の心をつかんだ庄野文学の「家庭小説」の始まりであり、のちに名作『夕べの雲』に発展していく長篇小説。生活を愛し慈しみ、多くの人の心をつかんだ庄野文学の「家庭小説」の始まりであり、のちに名作『夕べの雲』に発展していく長篇小説。
※本書は、講談社『庄野潤三全集 第二巻』(昭和48年8月刊)を底本としました。
庄野 潤三[ショウノ ジュンゾウ]
著・文・その他
内容説明
『ザボンの花』から庄野潤三独特の家庭小説が始まる。これは、著者にとって最初の長篇小説であり、麦畑の中の矢牧家は、彼がまさに創りつつある、新しい家庭であり、生活を愛し育んでいく本質と主張を、完成度の高い文学作品にしあげている。一生のうち、書くべき一番いい時に書かれ、やがて『静物』『夕べの雲』へ続く作品群の起点でもある。
著者等紹介
庄野潤三[ショウノジュンゾウ]
1921・2・9~2009・9・21。小説家。大阪生まれ。大阪外国語学校在学中、チャールズ・ラムを愛読。九州帝国大学卒。1946年、島尾敏雄、三島由紀夫らと同人誌を発行。教員、会社員を経て小説家に。55年、「プールサイド小景」で芥川賞受賞。57年から1年間、米国オハイオ州ガンビアのケニオン大学で客員として過す。60年、『静物』『絵合せ』で野間文芸賞を受賞。芸術院会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ちゃちゃ
121
さわさわと稲穂を揺らして吹きゆく風、掃いたようなすじ雲、澄み渡る空。夏の残り香が漂う景色は見る者を切なくさせる。春夏秋冬、人間は自然の摂理に則って生かされている。日々の暮らしを家族と分かち合うことなくして、何を人生と言おう。昭和30年代、東京の近郊に暮らす矢牧家の春から夏の終わりまでの日常が、静かで飄々とした筆致で綴られた本作。行間に滲むユーモアや哀愁が、読む者の心をふわりと優しく包み込む。伸びやかに日々を楽しむ子どもたちの姿が愛おしい。ひとつの季節の終わりは、命を繋ぎゆく希望を含んでしみじみと美しい。2020/09/07
森の三時
37
昭和30年代、大阪から東京の郊外(この頃は東京と言えども隣の家まで畑を挟むというような田舎があったんですね)に引っ越してきた家族の日常の暮らしがつづられた、エピソード集のような展開です。このエピソードが本当に何でもないようなことばかりなのですが、今ではかえって貴重に思えるほど、ほのぼのとした幸福感を読者に与えます。この本はある程度人生経験を重ねた人、子ども時代を昭和で過ごした人にとって懐かしさや安らぎを感じさせてくれるように思いました。2021/06/30
Atsushi
34
昭和30年代、東京郊外に暮らす若い夫婦と3人の子どもたち。春から夏の終わりまでの季節の移ろい。日々の暮らしや風景の描写が丁寧だ。麦畑の一本道を歩く兄妹の姿が目に浮かんだ。祖父から父へ、息子から孫へ、時は流れる。実家に帰省し遺品を前に亡父に思いを馳せるシーンが印象的だった。2021/09/05
kawa
28
庄野潤三氏初の長編作(連作短編的作品)。後に名作とされる「夕べの雲」の起点と位置づけられる家庭小説。昭和30年前後の著者の家庭を題材に、架空の矢牧家の夫婦と三人の子供たちの何気ないがあたたかい家族の日常風景を描く。ドラマティックな物語はないのだが、あの頃のそう言えばあったあったと思い出される昭和の風景が懐かしい。ちょっとくたびれて癒されたいときに、漢方的処方として接せられればラッキーと思える印象的な作品。(神奈川近代文学館「没後15年庄野潤三展」で購入) 2024/08/06
shoko
24
1956年発表。大阪から自然豊かな東京の郊外に越してきた矢牧一家の、子どもたちの日常を描く。しかし読み進めると、これは子どもたちを描きつつ、子を見守る大人たちの物語でもあるのだなと受け止め方が変わった。つまり、ジェンダーロールの規定が今よりも強固な時代に、悩みながらその役割を全うしようともがく等身大の大人の姿を見た気がした。大人としての責任、無邪気な子どもを羨ましく思う気持ち、そして若さは永遠ではなかったという気づきと世代交代の予感。勝手気ままに自分の人生を生きられない大人の哀しみがそっと描かれている。2023/02/26