講談社文芸文庫
柄谷行人中上健次全対話

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  • サイズ 文庫判/ページ数 263p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784062901208
  • NDC分類 914.6
  • Cコード C0195

出版社内容情報

若き日の出会い以来、常に世界的視野で表現を続けた批評家と作家の軌跡

一九六八年、遠藤周作が編集長をつとめる「三田文学」編集室に若い批評家と小説家が呼び出された。
この奇蹟の出会いによる鮮烈な印象は、互いの記憶に深く刻みこまれた。やがて日本文学の立役者となった二人は、常に相手を、さらに世界を強く意識し、「協働」するに至る――
批評家・柄谷行人と小説家・中上健次の全対談と往復書簡を収録する画期的な対話集!

中上
正義は正義だ。不正義は不正義だ。それを言わないとどうしようもない、というところに来ています。このままでは、文学が成り立たなくなる。
柄谷
僕は、ちまちましたポストモダン的シニシズムとかイロニーとかにうんざりしている。あんなのは自意識の欠落だよ。シュレーゲルが言ってるんだけど、イロニーの最終形態は真面目になることだ、と(笑)。だから素直にやろう。――<本文より>

柄谷 行人[カラタニ コウジン]
著・文・その他

中上 健次[ナカガミ ケンジ]
著・文・その他

内容説明

1968年、遠藤周作が編集長をつとめる「三田文学」編集室に若い批評家と小説家が呼び出された。この奇蹟の出会いによる鮮烈な印象は、互いの記憶に深く刻みこまれた。やがて日本文学の立役者となった二人は、常に相手を、さらに世界を強く意識し、「協働」するに至る―全対談と往復書簡を収録する画期的な対話集。常に世界的視野で表現を続けた批評家と作家の軌跡。

目次

文学の現在を問う
小林秀雄を超えて
批評的確認―昭和をこえて
路地の消失と流亡
中上健次への手紙
柄谷行人への手紙

著者等紹介

柄谷行人[カラタニコウジン]
1941・8・6~。評論家。兵庫県生まれ。1965年、東京大学経済学部卒業。67年、同大学大学院英文学修士課程修了。法政大学教授、近畿大学教授、コロンビア大学客員教授など歴任。また、批評誌「季刊思潮」「批評空間」を創刊

中上健次[ナカガミケンジ]
1946・8・2~1992・8・12。小説家。和歌山県生まれ。新宮高校卒。14歳の時に生徒会誌に「帽子」を発表以来、詩、戯曲、小説を執筆。1976年、『岬』で第74回芥川賞、77年、『枯木灘』で毎日出版文化賞、芸術選奨文部大臣賞新人賞を受賞。アメリカ、熊野、ソウルを廻り旺盛な作家活動をくりひろげる。90年からは熊野大学を開講。ガンのため故郷新宮に戻り逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社トリスタの提供する「読書メーター」によるものです。

ころこ

29
「中上 ところで、「差異」ってのはさ、どういうことなんだ、いったい。」作家は見当違いであっても作品を書くことで答えれば良い。批評家は正解を言えば良いというものでは無く、作家の良さも引き出さなければならない。批評家はそこが勝負の場なのだから。「柄谷 「差異」ってのは結局、意味の始まりみたいなもんさ。」差異とは意味と意味のズレの機能ですが、ここでは異なるものを同一視し、記号的に消費される間に意味を見出すという視覚的な隠喩によって答えています。今さら小林秀雄はないんじゃないかというのにも柄谷は付き合っています。2020/10/05

かいこ

3
『小林秀雄を超えて』が特に良い。対話の中で提起された諸問題群はどれも小説、更には小説の言葉(日本語)の問題として深く考えていくべきものばかりだ。中上の言う「物語(の系譜)」について理解深める為の取っ掛かりになりそう。柄谷の理論の簡単なおさらい編でもあった。2018/06/26

なめこ

2
時代順に二人の対談等が読むことができ、そのときどきに彼らが何をどう考えていたのかということの変遷が分かる。中上健次がもし今も生きていたら何を考えているのだろうということはやはり気になるのだけれども、そのことよりも、この本を読んでいる当の自分がこれから何をどう考えていくべきなのかということについて、考えさせてくれる刺激的な一冊。それとは別に、「八十まで生きる」という中上に「『枯木灘』なんか書いちゃったら長生きしないよ」といった、柄谷のことばが印象に残っている。2014/08/01

hasegawa noboru

2
小林秀雄をコテンパンにやっつけることでこの二人の仕事は成り立っていったんだな。〈小林秀雄は、「国民は黙って事変に処した」なんてことを言う。「国民」とか「生活者」とか「大衆」とかいう〉〈そういうものは存在しない。〉〈実際に存在するのは、さまざまな社会的関係の網の目の中にある諸個人だけだ。黙って事変に処した「国民」なんてのは、インテリの自意識にすぎない。〉(柄谷)信ずる者は救われるの宗教じゃあいけないってことで、(文学する奴らはそんなのばっか!)「交通」の視座にたってひたすら考えろと、二人は強調する。2014/01/09

ウイロウ

2
再読。七十年代から九十年代まで間を置いて行われた四つの対談、および手紙形式の二篇のエッセイから成る。二番目の「小林秀雄を超えて」が面白かった。私小説は「文学」ではなく「物語」の側から論じられるべき、という中上の主張が興味深い。いわく〈文学より、物語のほうが怖い〉。いっぽう柄谷は、〈歴史には「目的」も「意味」もない〉と述べ、小林秀雄の著作は「正しい」がゆえに退屈だと断ずる。ラストの対談は、中上最晩年のもので、いま読むと切ない。二十代で出会い、途中離れた時期もあったふたりだが、やはり「盟友」という感じがする。2012/08/07

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