出版社内容情報
失われた心の震えを回復するために、「僕」は様々な喪失と絶望の世界を通り抜けていく。渋谷の雑踏からホノルルのダウンタウンまで――。そこではあらゆることが起こりうる。羊男、美少女、娼婦、片腕の詩人、映画スター、そして幾つかの殺人が――。デビュー10年、新しい成熟に向かうムラカミ・ワールド。
村上 春樹[ムラカミ ハルキ]
著・文・その他
内容説明
失われた心の震えを回復するために、「僕」は様々な喪失と絶望の世界を通り抜けていく。渋谷の雑踏からホノルルのダウンタウンまで―。そこではあらゆることが起こりうる。羊男、美少女、娼婦、片腕の詩人、映画スター、そして幾つかの殺人が―。デビュー十年、新しい成熟に向かうムラカミ・ワールド。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ミカママ
527
そうか、前回再読したのはちょうど10年前だったんだ(意味深)。今回はとても僕とユキのハワイ訪問が懐かしかった。ダウンタウンの危なげな感じとか、ワイキキビーチのホテルのバーで飲むピニャコラーダだとか、マカハへのハイウェイの運転とか、知っていると倍楽しめると思う。ただどうしても34歳男と13歳少女の友情というのが信じられない。ふたりで行動させている親にも疑問(まぁおかしな親ではあるが)。今回もいろいろ置いてけぼりだったなぁ。2024/06/15
ヴェネツィア
481
これは「僕」の2度目のイニシエーションの物語なのだろう。最後に「僕」は現実の世界に戻ってくるのだが、依然として現実との違和や齟齬は残る。そもそも、愛する相手を呼ぶのに、「ユミヨシさん」はないだろう。あるいは、「耳の美しい彼女」よりも名前があるだけでもましだろうか。そして、「あなたすごく良い人だったわ」と過去形で告げたまま別れたユキとは、「僕」あるいは、読者の僕たちは、またどこか先の物語で再会できるのだろうか。2012/06/11
zero1
357
死が色濃い中、人は踊っている?それとも踊らされている?生きるということは、何かを失うということ?舞台は83年。「僕」はユキと一緒にハワイへ行く。キキを見た「僕」は追いかけた先で6体の人骨を見る。これは【繋がっている】というメタファー。「国境の南、太陽の西」にも似た場面が。【再生と喪失】どころか失ってばかりの「僕」。【壁抜け】の意味は?彼の近くを人は通り過ぎていくだけ。でも彼は生きているしユミヨシさんもいる。村上作品は同じ所を巡っているようだが、残された者がいる。再生はこれからだ。何度読んでも興味深い。2019/10/27
ehirano1
237
生と死の境界線のやや「生」側で音楽の鳴っている間(=生)は踊り続けるんだよ、というテーマでありメッセージであったように思いました。加えて、「踊る」ことは生きることであり、つまりは「人生」である。なので、人生に意味なんて考えちゃいけない、そんなことも伝えているように感じました。2025/06/07
tokko
220
何となく、日々の生活に追われて疲れてくると自然に手にしている本。この小説を読んでいると、システマティックな社会で生きていることがどれだけ人々を疲弊させるかが分かる。世の中に対して敏感な人ほど、心を消耗させながら生きるしかない。心に闇を抱えてしまった五反田君や、不登校となって心を閉ざしてしまったユキは、僕たちの本当にすぐ側にいるように感じられる。2011/05/11
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