出版社内容情報
ルネサンス宮廷に甦った凱旋門と活人画。人々の耳目を惹いた束の間のスペクタクルは、その後の文化史上どんな流れをたどったのか。古代ローマ時代に戦勝を記念して数多く作られた凱旋門。ローマの衰退とともに姿を消した凱旋門はルネサンス期に甦り、君主入市式に際して仮設建築の形で作られた。
一方、中世の教会で行われた典礼劇に端を発する活人画はその後アルプス以北の君主入市式を飾り、ルネサンス期には凱旋門を舞台に演じられるようになった。
両者は一体となってルネサンス宮廷の一大スペクタクルとして盛り上がりをみせたが、時代が下ると近代市民社会においてそれぞれ別の道をたどることになる。活人画は上流階級の夜会の余興として引き継がれ、凱旋門はやはり戦勝記念として国威の発揚を目的に作られ続けた。
さらにそうした文化は明治期のわが国にも流れ込み、国民統合の象徴として、祝祭の装置として、人集めの見世物として、高尚と下世話あい取り混ぜて浸透することになる。
両者ともエフェメラル(束の間)の存在として、一瞬間現れては消えてゆく。それ故に人々の期待と耳目を集める効果は大きく、その制作のためには美術・演劇はもとより音楽・文学といった芸術家たちの力が要請され彼らの腕の見せ所ともなったのである。
本書では、時を超え、洋の東西をまたいでさまざまなジャンルの芸術と触れあいながら、凱旋門と活人画がスペクタクルの力をいかに発揮してきたのかをたどる。
第一章 ルネサンスのハリボテ凱旋門
君主の祝祭――入市式とは何か/ハリボテ凱旋門
古代風凱旋入市式のしるしとしての凱旋門
メッセージの展示スペース
君主と儀式の舞台空間
第二章 ルネサンスの活人画
活人画の図像プログラム/予型論的活人画
舞台の形状、カーテンおよび扉の使用/活人画の背景画
君主も活人画に参加する/圧縮された演劇/美術史上の傑作を活人画に
第三章 ポッセッソ――新教皇のスペクタクル
教皇によるローマ入市式/ポッセッソの道順をたどる
ヒエラルキーを可視化する行列/立ち並ぶ仮設凱旋門
教皇とユダヤ人との演劇的対話/ローマ市民の楽しみ=硬貨まき
第四章 活人画の誕生一――一八世紀後半?一九世紀前半
「活人画」の誕生/ゲーテ「親和力」に登場する活人画/上流階級の娯楽
公的な余興=国家のスペクタクル/活人画になった絵画
第五章 大衆化する活人画――一九世紀後半
原作なき活人画/国家的、民族主義的イベントと活人画
機会音楽としての活人画伴奏音楽
スカーレット・オハラとアン・シャーリーが演じた活人画
社交・集会の場としての活人画の催し/裸体見物の口実としての活人画
裸体活人画を演じるレヴュー・ガールたち/性風俗産業でも
第六章 明治の凱旋門と活人画
明治の凱旋門/在留外国人による最初の活人画
「鹿鳴館文化」としての活人画/癸卯園遊会の「世々の面影」
歌舞伎役者の歴史活人画興業/歌舞伎座大外れの理由
学生風俗としての活人画/漱石と活人画/『素人に出来る余興種本』
第七章 新宿帝都座の額縁ショウへ
顕れたトタンに幕/新宿帝都座の額縁ショウ/仕掛け人秦豊吉
エロか、芸術か?/額縁ショウの口実としての泰西名画
芸なしハダカ・ショウvs.帝劇ミュージカルの活人画
京谷 啓徳[キョウタニ ヨシノリ]
著・文・その他
内容説明
古代の形に倣うように、ルネサンス期に甦る仮設建築の凱旋門。それは人市式における君主の壮麗な行列を迎える舞台として、またメッセージを伝える大道具として機能し、さらに「生きた人間による絵画」の展示を加えて、壮大な演劇的空間を作り出した。束の間の宮廷祝祭を彩った凱旋門と活人画は、その後、別々の道を歩む。国民国家の記憶装置としての凱旋門、上流社会の娯楽としての活人画、そして明治日本にも伝来し変容してゆく見世物としての歴史をたどる。
目次
第1章 ルネサンスのハリボテ凱旋門
第2章 ルネサンスの活人画
第3章 ポッセッソ―新教皇のスペクタクル
第4章 「活人画」の誕生―一八世紀後半~一九世紀前半
第5章 大衆化する活人画―一九世紀後半
第6章 明治の凱旋門と活人画
第7章 新宿帝都座の額縁ショウへ
著者等紹介
京谷啓徳[キョウタニヨシノリ]
1969年、香港に生まれる。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。東京大学助手を経て、九州大学大学院人文科学研究院准教授。専攻は西洋美術史。主な著書に『ボルソ・デステとスキファノイア壁画』(中央公論美術出版、第九回地中海学会ヘレンド賞/第二六回マルコ・ポーロ賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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