内容説明
すべての哲学はカントに流れ入り、カントから再び流れ出す。西洋哲学二千年の伝統を破壊した衝撃の書『純粋理性批判』。「私」「世界」「神」の考察から、「時間」「空間」の構造、形而上学の運命まで、あらゆる思考の極限を究めた哲学史上最大の金字塔を、やさしく、ヴィヴィッドに読みつくす。
目次
序章 すべての哲学が失敗した理由
1章 『純粋理性批判』の建築現場
2章 『純粋理性批判』見学ツアー
3章 『純粋理性批判』の動揺(カントの不安;理性の深淵)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
syaori
66
『純粋理性批判』を作者にとっての魅力から読み解いてゆく入門書。それは「客観的な認識は何か」ということで、有名なカントの「コペルニクス的転回」と呼ばれる「対象が認識に従う」という発想、つまり「認識は徹頭徹尾、主観的な条件で成立しており、そのことによってのみ、認識は客観性を有する」というカントの認識論が大変分かりやすく解きほぐされてゆきます。それによって、人間の認識の真理性の最終根拠を神から人間に奪い取って近代哲学の基礎を築いたという『純粋理性批判』の大きな意義も理解できるようになっていて、勉強になりました。2025/04/28
ゆう
31
スリリングな読書体験ができます。本書は単純な解説ではないです。カントには「純粋理性批判」を完成する前10年の沈黙期間があり、本書はその沈黙の期間にカントの哲学がいかに更新されたかという考察から始め、そして最後は「純粋理性批判」一版とその6年後に改訂されたニ版の差異に、カント哲学の後退を読むことで終わります。「純粋理性批判」そのものの内容のみをしっかり扱うのは、第2章のみという構成。つまり、「純粋理性批判」を前後の哲学史の流れの中に置き、この書籍が成し遂げた功績と、その限界をよくわかる形で示してくれます。→2020/08/14
しんすけ
16
前から考えさせられたカントの誤謬論に関し本書は明快に答えている。/はっきり言えば、『純粋理性批判』は、「個々の認識が真である」ことを確定しようとしたのでは決してない。そうではなくて、我々の認識が「客観的妥当性を有していると主張しうるための根拠はなにか」ということを追究した書物なのである。客観的妥当性を主張している認識は、当然のことながら、真であることも偽であることもありえるのである。p.180/『純粋理性批判』に明確な誤謬論がないと言われるが、一つの考えに拘泥しなかったカントにしてみれば当然だったのだ。2024/09/16
kthyk
15
<もう、その発想パターンから抜け出すことはできない>と著者は書く。デリダの<建築は形而上学の最後の砦>に触れ、読みはじめた。<なんのために生きているのか><なぜ1+1は2だろうか><なぜ人間は月に到着できるのか><空間と時間とは何か><形而上学はいかにして可能か><客観的な認識とは?><真理とは?><在るから見えるのか、見るから在るのか><知識の源泉はなにか><世界は主観による構成物だと考えることで、初めて客観的認識が成立する>今、芸術が必要とされていないように、哲学も建築も今あまり関心を持たれていない。2021/07/24
Happy Like a Honeybee
9
主観が世界を成立させる。それは現象の世界。現象認識は客観的だが、物自体の認識は主観的。 分かりやすくて、一気に読めた。現場で学生に指導してる人なので、難解な用語思考法も理解しやすい。 物があるから見える。物を見るから存在する。 ハイデッカー、ヘーゲルによる解釈もあり、後世へ影響を及ぼしたカントを少しずつ学習せねばと。2018/02/16