内容説明
1978年鈴鹿8耐。絶対的に有利といわれたホンダRCBはヨシムラに惨敗した。当時のホンダ二輪開発総責任者入交昭一郎氏はいう。「本当に惨めだった。『このままでは恥だ!徹底的にやれ!』と社内に号令をかけ、絶対にヨシムラに勝つ、いつか見てろよ、このクソおやじ!と誓いましたね。そうしないと吉村さんに申し訳ない」迎え撃つ王者ポップ吉村は、メカニックの数も、資金も十分ではないなか、どう闘うのか。
目次
6 一九七八年鈴鹿の夏―一九七八年
7 加藤昇平、竜洋に死す―一九七八~一九八二年
8 辻本聡のデイトナ―一九八二~一九八六年
9 霞むヘッドライト―一九八六~一九八七年
10 未来へ―一九八八~一九九五年
11 ビワの実の絵
著者等紹介
富樫ヨーコ[トガシヨーコ]
1954年、東京都に生まれる。翻訳家、フリーライター。ロードレース、南米走破経験を生かし、1983年ケニー・ロバーツvs.フレディ・スペンサーの死闘の取材より文筆活動に入る。HRC(ホンダ・レーシング)コーディネーターも務めている
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感想・レビュー
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マサトク
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チューニングというものを世に産み落としたのが、ヨシムラのおやじさんだったんだな、というのがよくわかる好著。すでに名声を確立してから存在を知った者には、過程にある苦闘の歴史は眩しくもみえる。2015/10/04
washa46
0
ヨシムラと言えば8耐、8耐と言えばヨシムラ… こうして読んでみると鈴鹿8耐はヨシムラの歴史と言ってもいいのかな… 自らを律し人を育て、現代にも通ずる技術開発など、一時代を築き上げてきた『ヨシムラ』のモータースポーツへの貢献は非常に大きく、また偉大である… 決して諦めない…それがヨシムラの精神であり脈々と受け継がれている…2020/08/07