内容説明
1985年8月12日、群馬県・御巣鷹山に日航機123便が墜落。なんの覚悟も準備もできないまま、一瞬にして520人の生命が奪われた。本書は、当時、遺体の身元確認の責任者として、最前線で捜査にあたった著者が、全遺体の身元が確認されるまでの127日間を、渾身の力で書きつくした、悲しみ、怒り、そして汗と涙にあふれた記録である。
目次
第1章 出動命令
第2章 大量遺体
第3章 最初の遺体確認
第4章 悲しみの体育館
第5章 看護婦たちの胸の内
第6章 指紋、歯が語る
第7章 身を粉にした医師の仕事ぶり
第8章 遺体の引き取り
第9章 過酷な任務
第10章 極限の日々
第11章 最後の最後まで
著者等紹介
飯塚訓[イイズカサトシ]
1937年、群馬県に生まれる。日本大学法学部を卒業。1960年、群馬県警察官として採用され、以後、警察本部課長、警察署長、警察学校長等を歴任。1985年、高崎署刑事官在職時に、日航機墜落事故が発生、身元確認班長に。1996年、退官
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感想・レビュー
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おしゃべりメガネ
178
やっと本作を読むコトができました。長らく積んで、なかなか読めないまま、あれから34年が経った今、改めて出来事の重大さに圧倒されました。今のように携帯電話は勿論、連絡手段や医療設備、搬送手段も限られた中で本当によくここまで'従事'できたなと屈服します。とにかくプロ意識と遺体を家族の元へという必死の思いのみを胸に、ひたすら業務に携わった方々へ改めて敬意を表します。最初から最後まで、とにかく涙が溢れ、止まりませんでした。やはり子供の遺体に関わる記述は本当に涙なしには到底読めない描写です。ご冥福をお祈りします。2019/08/12
しいたけ
124
著者は当時、高崎警察署の刑事官。日航機墜落事故で身元確認班長として、灼熱の体育館に運ばれる有り得ない破片と化したご遺体を、わずかな肉片さへも遺族の元に帰したいと命がけで動く人たちを指揮統括する。目を覆うような遺体の描写が、読むうちかけがえのない大切なその人の一部であると思えるようになる。無残な幼児の遺体の一部に頬ずりする看護師。息子の遺体が中々見つからないご婦人を、山奥の自分の実家に連れて行く若い警察官。強烈な匂いを放つ関係者を暖かく迎えるラーメン店。胸がえぐられる悲惨な場所にも、讃美に値する人々がいる。2017/08/12
とくけんちょ
69
成長させてもらえる本。あってはならない事故だが、極限の状況、これで人は成長するんだなと圧倒されてしまった。そして、読者もその何分の1かでも、読書を通じて疑似体験し、成長できる本だわ。行間の重みが凄い。検視を行う体育館、安置場所、怒号、嗚咽、臭気、緊迫感が半端ない。忘れてはいけない事件だと思いました。2019/03/14
はつばあば
68
どんな理由であれ愛する人を失う哀しみを味わいたくない!と云う想いからこの日航機事故や震災の本を読むのは拒んできた。ましてや当時、TVや新聞の報道で、当時の首相N氏・防衛庁長官K氏・・そして自衛隊への憶測記事が・・。少し前の日本も、今の中国のように隠蔽が好きな支配者・政権に握られていたのだ。31年目にして読み友さんのレビューから小説でなく、事故に遭われた方の遺体と、それに携わった方々の生身の想いと、現場の様子を知ることができた。お盆にと思っていたが、お盆には「墜落現場 遺された人たち」を読ませてもらう2016/07/22
kinkin
68
この事故から約30年。当時の惨状は直接報道はされなかったものの、収容作業と検屍にはとても大変だったことをこの本を通じてあらためて知ることができた。現在ならDNA鑑定という方法もあるが当時はまだ普及できていなかったのだろう。3.11地震やこの事故で思うのは、東京や大都会で大災害が発生した場合、検屍や遺体の処理はどうするのだろうということ。誰がどこでどのように絶対に避けられない問題だと思う。2014/04/08