内乱の政治哲学―忘却と制圧

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内乱の政治哲学―忘却と制圧

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  • サイズ B6判/ページ数 338p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784062208291
  • NDC分類 311.1
  • Cコード C0010

出版社内容情報

政治と哲学の境界(メトリア)とは何か。プラトン、ホッブズ、カール・シュミット、ハイデガーなどの思考と縦横無尽に切り結ぶ!著者・神崎繁は、日本の哲学界が生んだ「最後の碩学」と言えます。
専攻は、西洋古代哲学、とくにアリストテレス研究ですが、ひろく哲学史全般を渉猟し、現代哲学の最先端までカバーしたうえで、古典を論じる哲学者でした。
惜しくも2016年10月に逝去しましたが、その最晩年、哲学的考察を傾けたのが、政治と哲学の関係でした。

本書は、「政治と哲学の境界(メトリア)」を哲学し続けた、神崎最晩年の哲学の集大成です。

第一部では、「内乱」と、「許し」の関係が、プラトンとホッブズを導きの糸に語られます。そこで鍵になるのが、カール・シュミットの匿名の資料、という趣向です。

第2部は、マックス・ウエーバーの有名な講演「職業としての学問」を、カール・レーヴィットが聴講していた、というエピソードを機縁に、ハイデガーの「良心」に向かっていきます。

補論では、「アリストテレスの子ども」としての、ヘーゲル、マルクス、ハイデガーを考察。一筋縄ではいかない展開が、まさに「哲学と政治」の境界(メトリア)なのです。

ともに哲学者であり朋友でもあった、中畑正志、熊野純彦両氏の、味読すべき解題を付す。

第1部 内乱の政治哲学
    ――プラトンとホッブズの《アムネスティ》
第2部 「始まり」の制圧に向けて
    ――「思慮」「賢慮」「良知」「良心」
補論 アリストテレスの子供たち
    ――ヘーゲル・マルクス・ハイデガー
「解題」のかわりに  中畑正志
思想史家としての神崎繁 熊野純彦


神崎 繁[カンザキ シゲル]
著・文・その他

内容説明

プラトン、ホッブズ、シュミット、ハイデガー…政治と哲学の臨界。哲学はどこまで政治を語りうるか。その臨界点に立って、最期の際まで思考した碩学の遺稿!中畑正志「「解題」のかわりに」、熊野純彦「思想史家としての神崎繁」を付す!

目次

第1部 内乱の政治哲学―プラトンとホッブズにおける“アムネスティー”(「和解を前提した内乱」―「理想国家」における「内乱」;「内乱」における記憶と忘却―「悪の記憶の禁止(me mnesikakein)」をめぐって
謀叛人・ソクラテスと「内乱」―「理想的な僭主」?
友/敵としての自己―「魂とポリスのアナロジー」
“魂=国制”の内乱学から“身体=政体”の機械学へ―ホッブズにおける「内戦」とその抑止)
第2部 「始まりの制圧」に向けて―「思慮(φρ´ονησιζ)」//「賢慮(prudentia)」、「良知(synderesis)」//「良心(conscientia)」(「思慮(φρ´ονησιζ)」の「目的」への関わり
「フロネーシス」と「良知」、「良心」
「一つの不在の現前」―「ストア派」の欠落について)
補論 アリストテレスの子供たち―ヘーゲル・マルクス・ハイデガー(ヘーゲル;マルクス;ハイデガー)

著者等紹介

神崎繁[カンザキシゲル]
1952年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。茨城大学助教授、東北大学助教授、東京都立大学教授、首都大学東京教授、専修大学教授を歴任。専攻は、西洋古代哲学、西洋古典学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

みのくま

5
30年続いたペロポネソス戦争敗北後のアテネは30人政権による恐怖政治が敷かれ、寡頭派と民主派による泥沼の内乱が勃発した。そして激化する内乱に終止符を打つ為に「アムネスティー(悪の記憶の禁止)」による和解が成立する事になる。本書はWW2後、変名でカール・シュミットがアムネスティーについて言及した論文を紹介する所から筆を起こしており大変興味深い。そして、プラトンは著書「メネクセノス」において意図的にアムネスティーに対する言及を避ける。そこにはプラトンの考えるポリス国家における内乱の構造にヒントがあるのだという2023/12/24

hryk

2
どれだけの読書量があればこれほどのものが書けるのかと思いつつ、単に読書量を増やすだけではこれは書けないとも思う。アリストテレスの能動知性の系譜をヘーゲルとマルクスによる労働概念の展開とハイデガーの存在論に引き寄せる補論は再読。初読時にはピンとこなかったが再読して問題設定の独創性とそれを支える文献提示の手付きの鮮やかさに心を打たれる。こういうものを書いてみたいと思うけれど、安易に不在を主題にしてはならないという中畑正志の指摘には頷かざるを得ない。2019/01/09

ややや

1
著者の遺稿集。悪を忘却すること(アムネスティ)によってのみ内乱は乗り越えられる、と主張するホッブズ-シュミットに対し、著者はプラトンのテクストから、むしろ悪を記憶することによる内乱/対話こそポリスと魂を導くのだ、という思考を読み取る。第二論文では、ハイデガーにおけるストア派の欠落から、セム的思考の排除を読み取る。いずれも解題では無理を指摘されているのだが、学ぶところの多いテクスト。第三論文も学ぶところ多そうだが、途中で投げ出してしまった…。巻末の熊野純彦による追悼文は、あまりに見事。2024/10/19

ニッポニテスは中州へ泳ぐ

1
☆=3/5  プラトンとハイデガーが、そのテクストの中で敢えて言及しなかったことについての考察。  文体が錯綜していて意を汲み取りにくい箇所も多かったが、なんとか読み切った。 読み進めるごとに著者が思想史上に見出した「隠れた系譜」の全体像がおぼろげながら見えてくる(ただ、著者が注目するテーマを個人的にはあまり重要とは思えず、その意味でノリきれなかった)。 「努めて言及しまいとする事」にまつわる心理的固着について語り起こすというスタイルは四方田犬彦『回避と拘泥』に似ている。 2021/02/12

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