出版社内容情報
政治と哲学の境界(メトリア)とは何か。プラトン、ホッブズ、カール・シュミット、ハイデガーなどの思考と縦横無尽に切り結ぶ!著者・神崎繁は、日本の哲学界が生んだ「最後の碩学」と言えます。
専攻は、西洋古代哲学、とくにアリストテレス研究ですが、ひろく哲学史全般を渉猟し、現代哲学の最先端までカバーしたうえで、古典を論じる哲学者でした。
惜しくも2016年10月に逝去しましたが、その最晩年、哲学的考察を傾けたのが、政治と哲学の関係でした。
本書は、「政治と哲学の境界(メトリア)」を哲学し続けた、神崎最晩年の哲学の集大成です。
第一部では、「内乱」と、「許し」の関係が、プラトンとホッブズを導きの糸に語られます。そこで鍵になるのが、カール・シュミットの匿名の資料、という趣向です。
第2部は、マックス・ウエーバーの有名な講演「職業としての学問」を、カール・レーヴィットが聴講していた、というエピソードを機縁に、ハイデガーの「良心」に向かっていきます。
補論では、「アリストテレスの子ども」としての、ヘーゲル、マルクス、ハイデガーを考察。一筋縄ではいかない展開が、まさに「哲学と政治」の境界(メトリア)なのです。
ともに哲学者であり朋友でもあった、中畑正志、熊野純彦両氏の、味読すべき解題を付す。
第1部 内乱の政治哲学
――プラトンとホッブズの《アムネスティ》
第2部 「始まり」の制圧に向けて
――「思慮」「賢慮」「良知」「良心」
補論 アリストテレスの子供たち
――ヘーゲル・マルクス・ハイデガー
「解題」のかわりに 中畑正志
思想史家としての神崎繁 熊野純彦
神崎 繁[カンザキ シゲル]
著・文・その他
内容説明
プラトン、ホッブズ、シュミット、ハイデガー…政治と哲学の臨界。哲学はどこまで政治を語りうるか。その臨界点に立って、最期の際まで思考した碩学の遺稿!中畑正志「「解題」のかわりに」、熊野純彦「思想史家としての神崎繁」を付す!
目次
第1部 内乱の政治哲学―プラトンとホッブズにおける“アムネスティー”(「和解を前提した内乱」―「理想国家」における「内乱」;「内乱」における記憶と忘却―「悪の記憶の禁止(me mnesikakein)」をめぐって
謀叛人・ソクラテスと「内乱」―「理想的な僭主」?
友/敵としての自己―「魂とポリスのアナロジー」
“魂=国制”の内乱学から“身体=政体”の機械学へ―ホッブズにおける「内戦」とその抑止)
第2部 「始まりの制圧」に向けて―「思慮(φρ´ονησιζ)」//「賢慮(prudentia)」、「良知(synderesis)」//「良心(conscientia)」(「思慮(φρ´ονησιζ)」の「目的」への関わり
「フロネーシス」と「良知」、「良心」
「一つの不在の現前」―「ストア派」の欠落について)
補論 アリストテレスの子供たち―ヘーゲル・マルクス・ハイデガー(ヘーゲル;マルクス;ハイデガー)
著者等紹介
神崎繁[カンザキシゲル]
1952年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。茨城大学助教授、東北大学助教授、東京都立大学教授、首都大学東京教授、専修大学教授を歴任。専攻は、西洋古代哲学、西洋古典学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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みのくま
hryk
ややや
ニッポニテスは中州へ泳ぐ