晩年様式集

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  • サイズ A5判/ページ数 331p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784062186315
  • NDC分類 913.6
  • Cコード C0093

出版社内容情報

3.11後の緊迫状況を舞台に選んで語る新しい物語。一見“私小説”、しかし実は・・・老境の円熟を拒否してカタストロフに挑む傑作2011年3月11日後の緊迫した状況を背景に2年近くにわたって「群像」に連載。タイトルは、老境を迎えても円熟を拒否し、前途に予想されるカタストロフを回避しないという芸術家の表現スタイルの態度についての、エドワード・サイード(大江さんの親友)の言葉「イン・レイト・スタイル」から採られる。「話者≒著者」の、表現者としての全人生を批評的に捉え直すような内容と構造になっている。「語り手の置かれた状況を3月11日後の荒れ果てた日本に設定した。日本が今生きている大災害と同時にわたしの内省の旅が始まった。わたしは一市民がどのように感じているかを表現しようとしている。この作品から見えるのはわたし自身の人生だ」と仏ルモンドのインタビューに答えている。
私(古義人)は「3.11後」大きく動揺していたが。ようやく恢復して「晩年様式集 イン・レイト・スタイル」という文章を書き始めた。アサ(妹)と千樫(妻)と真木(娘)は「三人の女たち」というグループを結成し、私の今までの小説に対する反論を送ってきた。私は自分の文章とその反論を合わせて私家版の雑誌を作ることにした。
一方ギー兄さんの息子であるギー・ジュニアは、「カタストロフ」委員会という名称の団体を作り、その研究対象として自らの父ギー兄さん、自殺した映画監督・塙吾良。そしてその証言者として私のインタビューを開始する。
千樫の発病を機に真木が上京し、代わりに私が四国の森のへりでアカリとの共同生活を始める。ギー・ジュニアもアカリのために働くことになった。
過去の対立を乗り越えた私とアカリは、アカリさん作曲、真木選曲のCD「森のフシギの音楽」を森の中で聴くことにする・・・・・・。

前口上として

余震の続くなかで

三人の女たちによる別の話(一)

空の怪物が降りて来る

三人の女たちによる別の話(二)

アサが動き始める

三人の女たちによる別の話(三)

サンチョ・パンサの灰毛驢馬

三人の女たちによる別の話(四)

カタストロフィー委員会

死んだ者らの影が色濃くなる

「三人の女たち」がもう時はないと言い始める

溺死者を出したプレイ・チキン

魂たちの集まりに自殺者は加われるか?

五十年ぶりの「森のフシギ」の音楽

私は生き直すことができない。しかし私らは生き直すことができる。


大江 健三郎[オオエ ケンザブロウ]
著・文・その他

著者等紹介

大江健三郎[オオエケンザブロウ]
1935年1月、愛媛県生まれ。東京大学文学部フランス文学科在学中の1958年、「飼育」により23歳で芥川賞を受賞。1994年、ノーベル文学賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

優希

39
3.11を内包しながら、その思いの中で私小説として自らの作家人生を振り返ることで改めて大江文学の描いてきた文学というものを見つめ直せた気がします。著作の登場人物と共に、自分も作品の登場人物とすることで、今までの作家人生の集大成にしているのが何とも言えない余韻のある世界を作り出していると感じました。何気ない雑文ではあるのですが、今まで描こうとしてきたものが全て詰まっていることでおそらく書くべきことは書いたという感じなのでしょう。最後の小説として上梓し、文筆家として筆を置くにふさわしい名作を残していった。2014/06/09

メタボン

33
☆☆☆☆☆遡ること二十数年、私の日常は文学現代音楽に支配されており、その日々で常に寄り添い続けたのは大江健三郎の文体であった。今でも「新しい人よ眼ざめよ」でイーヨーが語る太字のセリフを懐かしく思う。「懐かしい年への手紙」を最後に、いとしくも難解な大江の世界そしてブンガクゲンダイオンガクから遠ざかってきた。人生の折り返し地点を過ぎた今、大江との再会(大江を再開)を果たし、光=イーヨー=アカリ、長江古義人などの変遷は私に空白の長さ重さを想起させる。しかしその文体は通奏低音としてやはり私の底に流れていたはず。2014/01/25

壱萬弐仟縁

30
自分らみなについても、国じゅうの原発が地震で爆発すれば、この都市、この国の未来の扉は閉ざされる。自分らみなの知識は死物となって、国民というか市民というか、誰もの頭が真暗になる、滅びてゆく(79頁)。脱原発を訴える作家として高く評価される大江先生。原発に囲まれた地震国に生きている以上、カタストロフィーと無縁だとは思えません(130頁)。2014/07/01

百太

27
大江健三郎、初読み。・・・・こっ困った・・・。挫折感。やたらと後期高齢者だからが出てくるわ、状況解らずでイラっとする。今まで大江作品を読んでいなかったら辛いのね(苦笑)。“震災・小説”で検索したら出てきたので読んでみたけど。。。反省と後悔。トホホッ。 2019/03/01

かふ

23
3.11のカタストロフィからどう生きればいいかを模索した作品か。大江健三郎のそれまでの小説が死者たちとの対話で成り立っていたのだが、生者である女三人からの批評を受けて改編を余儀なくされる。それは障害のある息子が自殺をほのめかす発言をしたことから、女たちアサ(妹)と千樫(妻)と真木(娘)から古義人(作中の私)は批評される。それは『ドン・キホーテ』のサンチョ・パンサのような役割。大江健三郎は世界文学として詩に多く親しんできたのだが、それは彼岸(西洋だとダンテ『神曲』とか)の世界であり、2023/09/13

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