内容説明
詩誌『エウロペ』の編集者で詩人、井崎修一。類い稀な美貌と傲岸さを併せ持つ少年詩人、月原篤。篤の作品投稿をきっかけに二人は出逢い、互いに奇妙な愛憎を抱きながらも、次第に打ち解け合っていく。やがて篤は「世界の果て」を求めて、単身イタリアへ旅立つ。遙か異邦の地より、井崎に届けられる篤の私信。しかし、一年ののち、彼は一通の手紙を最後に消息を絶ってしまうのだった。若き詩人が異国で見出した「世界の果て」とは、果たして何だったのか。井崎は篤の残した詩と私信から、彼の生の軌跡を「小説」に刻もうと試みるが―。
著者等紹介
諏訪哲史[スワテツシ]
1969年10月26日、名古屋市生まれ。國學院大學文学部哲学科卒業。『アサッテの人』で第50回群像新人文学賞を受賞しデビュー。同作で第137回芥川賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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とら
32
『ロンバルディア』―イタリア共和国北西部に位置する州。州都はミラノ。山岳部、丘陵部、平野部の3つに分けられ、様々な気候に富んでいる―Wikiより引用。世界史でもちらっと出てきた名前だったので写真とかで見て、美しいイメージがあった。アツシの紀行文も綺麗に情景が描かれていたのでこれからどうなるだろうと期待を膨らませながら読んでいたが…もう本当に汚かった。純粋な意味での”汚い”だった。ごめん流石に分からないよ、ついていけないよ諏訪さん…「読者は読むことによって書く」これだけだ心に残ったの。これは面白いと思った。2013/12/30
tomo*tin
29
おそらくは誰もがどこかにケロイドを持つ。その形状は様々で、軽度なものも重度なものもあるのだろう。自ら望んで持つこともあれば不可抗力の場合もあり、持つが為に愛されることも疎まれることもある。人はケロイドを言葉で表そうとし、表すことでその正体を掴もうとし、正体を掴むことで世界と己を繋ごうとする。繋がることは困難だと知っているのに欲し、それを愛だと言う。鋭利な感覚が表面を撫ぜて皮膚を裂くことで、かろうじて息をつぐ。言葉も愛も万能ではない。けれど何も為さないわけでもない。捩れて歪む世界。その遠景を見た気がする。2009/07/28
三柴ゆよし
22
書く者と書かれる者、書き手と読み手との、絶え間ないせめぎ合いのうちに小説が生まれるのだとすれば、小説を書き、読むという業に身を置く彼ら一対の相姦者のあいだに、果たしてどのような劃定を設けることが可能だろうか。私たちは書を読むに際して、頁に刻印された無数の文字群の、その目に見えない背後にこそ、秘匿された真実があると、無邪気にも信じすぎている。外皮たる身体が内面たる魂魄を包み隠すのではなく、魂魄とは畢竟身体の単なる延長にすぎず、目に映るすべてこそすべてなのだとする認識は、私たちに実存的な煩悶をもたらす。(続)2016/02/16
Lumi
19
詩誌『エウロペ』の編集者井崎と、美少年詩人篤。篤がエウロペに作品を投稿したことで2人は出会う。イタリアに旅立った篤から送られてくる私信と作品で、井崎は小説を執筆する。初めて読む作家だったのですが、難解!広辞苑でも出てこない様な言葉が出てきたり。そして気持ち悪い!篤の異常な皮膚、集合体?への執着と嫌悪。エログロ。これは人に堂々とおすすめと言いにくいし、読者によって好き嫌いはっきり別れそう。不快だし本当におぞましいし、脳みそぐちゃぐちゃのめちゃくちゃにされるけど私はこの作品大好きです笑2020/08/25
ぞしま
13
術後の病室で本書を開き夜更けまでずっと読んでいたこと、あのおぞましさ、を忘れることはないだろう。あゝこんなメッセージの伝え方があったのか。(もちろんそれだけではない)。2019/09/12