内容説明
聖武天皇は広嗣の乱を機に遷都を繰返し、大仏建立に情熱を傾ける。阿倍内親王=のちの孝謙女帝をとりこんだ藤原仲麻呂が兵馬の権さえ掌中におさめてしまった。武人として既に昔日の俤もない大伴一族。はがゆさ、切なさを防人達の別離の悲しみに重ね、歌をよみ、万葉集を編む大伴家持。
感想・レビュー
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ソババッケ
14
大伴家持の生涯。数々の政争に巻き込まれながらも万葉集を後世に残す過程が興味深い。山上憶良老人との関係、橘諸兄を編集の起点としたこと、42歳で歌を止めた訳、万葉集がすんなりと世に出なかった訳など。私的な面でも、実母の存在、叔母・坂上郎女に育てられ大きな影響を受けたこと、娘を妻とした経緯、乳母の娘との間のみに子をなしたこと。家持が最初に内舎人として仕えたのを安積親王(聖武天皇の皇子)としたのも面白い。父・旅人が大納言であり、大伴という武の一族であること、越中、因幡、薩摩、伊勢など地方の生活も興味深い。★3.52018/01/03
くっちゃ
5
万葉集の編纂に関わった(とされる)大伴家持の物語。父の旅人が、時の権力者藤原四兄弟に疎まれたことで、大宰府に左遷され、家持も幼少期を九州で過ごすことに。しかし、彼は彼で父以上に左遷左遷の人生となる。橘県犬養広刀自及び安積親王側となっていたためか、親王死後反対勢力の阿部内親王が皇太子に立てられてから、越中守に任じられる。その後も橘奈良麻呂の乱で一族が荷担したことで、彼も左遷。藤原仲麻呂暗殺計画に荷担したことにより左遷。氷上川継の乱で、彼と繋がりのある藤原京家に孫娘が嫁いでいたため、関係を疑われ解官。極めつけ2017/09/22