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内容説明
美しい玉日の代りに善信(親鸞)が得たものは、宗門を挙げての非難、迫害であった。それは法然、滋円、親族にも及ぶ糾弾であった。遠流も辞せず―善信の不退転の決意は揺るぐことなく、未曽有の法難に耐えぬく。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Kiyoshi Utsugi
33
吉川英治の「親鸞(三)」を読了しました。 三巻では、後鳥羽上皇の怒りに触れ、師の法然等とともに遠国に配流となる(親鸞は越後国、法然は讃岐国)ところから、法然が亡くなり、親鸞は更なる教化の旅に出掛けるところまでを描いています。 親鸞が小さい頃から親鸞を憎んでいた天城四郎が心を入れ替え生信房となるところが、一番心を打たれたところでした。2023/03/06
アポトキシン
13
親鸞の一生は波乱万丈で、読んでいてハラハラドキドキさせられた。「善人なほもって往生をとぐ、いはんや悪人をや。」という親鸞の名言があるように、親鸞が長く厳しい修行によって確立したことは、煩悩があることを認めて自分が悪人であると自覚できたもの(いわゆる正直者)こそが幸せであるということだと思う。親鸞も偉そうに教えを説くことはせず、自らを「愚禿」「凡夫」と名乗るほどそれを実践していた。いつでも謙虚でいられるのだから流石だと思う。2019/02/02
Hugo Grove
11
何度目かの再読です。今を楽しんで生きる。簡単ではないですよね。南無阿弥陀仏と唱えることで、心が澄み渡るでしょうか?何度も疑うなとおっしゃるのだけれど、それができれば悩みや苦しみはこえられるのでしょう。信じる、難しいことです。2013/05/03
shimashimaon
8
信仰が支配階級と結び付いた教団や教義の原典に依存していた時代から、個人の内面に依拠するものへと変化を遂げたのは、我が国においてヨーロッパの宗教改革よりもずっと前であったようです。宗教戦争とまではいかずとも、その過程では少なからず血が流されたこともわかりました。怒りや不安を内に抱えて翻弄されるよりも、ただ念仏を唱えている方がずっと自由でいられる。私が興味を持って学んでいる唯識論は奈良の南都六宗のうち法相宗の教義であり、当時、念仏停止を求めた立場です。しかしどんなに学んでも自力では往生できないと私は信じます。2022/08/06
みのくま
8
著者が同時期に書いていた「宮本武蔵」は自力難行を書いた作品であるので、本書の主人公である親鸞の教え「他力易行」とは正反対であり、両作品は全く違うものに見えるかもしれない。しかし面白い事に、「武蔵」も本書も物語の構図は非常に似ているし、また主人公である武蔵と親鸞もそっくりなのだ。これをどう理解すればよいかだが、一つ目は「易行」を説いた親鸞自身の人生が「難行」だったという点。二つ目は、そもそも「易行」と「難行」は対立概念ではない、という点だ。人生は辛く悲しい事の連続だが、しかし同時に楽しく嬉しい事もあるように2019/04/07