内容説明
その出発以来、同時代の“知”に、圧倒的な衝撃を与えつづけて来た著者の、秀れた光芒を放つ第一評論集。群像新人文学賞受賞作「意識と自然―漱石試論」をはじめとし、その後の『マルクスその可能性の中心』『日本近代文学の起源』『探究1』『探究2』など、柄谷行人のその後の力業を予告する初期エッセイ群。
目次
意識と自然―漱石試論 1
内側から見た生―漱石試論 2
心理を超えたものの影―小林秀雄と吉本隆明
発語と沈黙―吉本隆明における言語
閉ざされた熱狂―古井由吉論
江藤淳論―超越性への感覚
夢の呪縛―埴谷雄高について
高橋和巳の文体
芥川における死のイメージ
マルコ伝について
「実践」とはなにか
地図は燃えつきたか―大江、安部にみる想像力と関係意識
二人の先行者―江藤・大江論争について
内面への道と外界への道
自然的なあまりに自然的な…―精神の地下室の消滅
批評家の「存在」
2冊の本―『歴史と文学』『復興期の精神』
吉本隆明『情況』
W.H.オーデン『第二の世界』
吉井由吉『男たちの円居』
鮎川信夫『歴史におけるイロニー』
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
踊る猫
30
柄谷行人の初期の論考をこうして読み、そのデビュー作の中にすでに後の問題系が詰まっていることを知りそれこそ「畏怖」を抱く。ここにいるこの自分自身の「意識」と、その「意識」の前に表れ出るなんとも形容のしようがない漠然とした「自然」(それは後の「他者」にも対応するだろう)。柄谷の論考は著者の精神に直に肉薄し、彼がどう世界を捉え得たかを分析していく「精神分析」の性格が濃いと思った。それを読み進める読者のぼく自身も、自分の凝り固まった偏見が解体されていくような快感を味わえる。先行者への挑発的な言辞も散見され興味深い2024/05/23
ころこ
27
1番目の論文のタイトルにある『意識と自然』について、他の論文も書かれています。何かを「単にする」ことと、何かをすることを言明すると「単にする」ことと異なることをしてしまうことを、しきりに述べています。意識をとらえるとき、その意識を考えている意識も考慮に入れなければならなくなります。すると、「その意識を考えている意識も考慮に入れた意識」を考慮に入れなければならず、さらに「その意識を考えている意識も考慮に入れた意識を考慮に入れた意識」も考慮に入れた意識でなければならず、さらに…というように、意識を意識でとらえ2018/05/04
chanvesa
25
「漱石は人間と人間の関係を意識と意識の関係としてみるよりも、まず互いが同じ空間を占めることができないというようななまなましい肉感として、いいかえれば存在論的な側面において感受していたのだ。(16~17頁)」近代における「自然」を抑圧し無視して生きることがもたらす自身の荒廃にいかに立ち向かうかを、漱石の初期作品や後期なかでも『道草』に焦点を当てることは興味深い。ただし、漱石の孤独感と吉本隆明論の孤独感は同じ孤独という言葉で考えていいのだろうか。吉本隆明、小林秀雄をまともに読んでいないからわからんけど。2015/10/07
ゆう
22
夏目漱石の長編を読もうと思い立ち、そういえば柄谷行人は夏目漱石の批評でデビューしたのだったなと思い、折角なので同時並行で読書しようと本書を。目的だった漱石論は面白く読めたものの、小林秀雄や吉本隆明、江藤淳の著作についての言説が多く、文字を目で追うのすら四苦八苦。漱石が個人の内面の最奥に自然を見出したように、小林と江藤が母との関係を、吉本が大衆を見出したという指摘が面白かった。批評について考えたことなかったけど、対象を徹底的に思考し言語化することで、自己を炙り出す表現行為のように感じ、苛烈さに身が竦む。2020/07/05
34
16
あ〜だめだめ、これ以上は正確にいえない。これ以上をいおうとしたら、とんでもないことになる。ってタイミングでいつも小林秀雄的啖呵が出てくるのは草。ぜひ真似したい。2019/04/08