講談社学術文庫<br> 存在の彼方へ

個数:

講談社学術文庫
存在の彼方へ

  • 提携先に2冊在庫がございます。(2022年07月07日 01時22分現在)
    通常、5~7日程度で出荷されます。
    ※納期遅延や、在庫切れで解約させていただく場合もございます。
    ※1回のご注文は10冊までとなります
  • 出荷予定日とご注意事項
    ※上記を必ずご確認ください

    【出荷予定日】
    通常、5~7日程度で出荷されます。

    【ご注意事項】 ※必ずお読みください
    ◆在庫数は刻々と変動しており、ご注文手続き中に減ることもございます。
    ◆在庫数以上の数量をご注文の場合には、超過した分はお取り寄せとなり日数がかかります。入手できないこともございます。
    ◆事情により出荷が遅れる場合がございます。
    ◆お届け日のご指定は承っておりません。
    ◆「帯」はお付けできない場合がございます。
    ◆画像の表紙や帯等は実物とは異なる場合があります。
    ◆特に表記のない限り特典はありません。
  • ●店舗受取サービス(送料無料)もご利用いただけます。
    ご注文ステップ「お届け先情報設定」にてお受け取り店をご指定ください。尚、受取店舗限定の特典はお付けできません。詳細はこちら
  • サイズ 文庫判/ページ数 477p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784061593831
  • NDC分類 135.5
  • Cコード C0110

内容説明

フッサールとハイデガーに現象学を学び、フランスに帰化したユダヤ人哲学者レヴィナス。戦争の世紀の証人として生き、「平和とは何か」の問いを極限まで考察したレヴィナスは、本書において他者への責任とは他者の身代りになることだと説く。『存在と時間』(ハイデガー)以降最も重大な著作とされ、独自の「他者の思想」の到達点を示す大著の文庫化成る。

目次

第1章 存在することと内存在性からの超脱
第2章 志向性から感受することへ
第3章 感受性と近さ
第4章 身代わり
第5章 主体性と無限
第6章 外へ

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

テツ

29
哲学は個人的な体験というフィルターを通さなければ熟成されない。親族のほぼ全てを収容所で殺害されたレヴィナスの哲学を、彼の言葉を、平和な時代の平和な島国で生きている僕が真の意味で理解することなんて出来ない。それでも彼の語りたいこと、彼が美しいと感じ、人間誰しもが普遍的にもつ(と信じたかったであろう)感覚が僕も好きだなと思う。いくら踏み躙られた経験があろうとも愛も神も信じたい。美しいものとして存在していて欲しい。人間に寄り添っていて欲しい。そのために言葉を積み重ねる。2019/06/28

きゃんたか

21
レヴィナスは確信犯的に自我中心的な西欧哲学の転覆を意図している。感受性を備えた身体性によって知性の限界を、起源の想起不能性を以て人間存在の徹底的な受動性を主張するという様に。時間には乗り越えられない隔たりがあり、総合によって共時化を図る知性において、ロゴスは挫折せざるを得ない。ロゴスは常にかかる身体の超越を記述の痕跡をもって裏切る定めにあるが、著者はそれさえ承知の上で語り直しの反抗をやめようとしない。かかる自己の脱措定による社会正義の可能性、宗教抜きにかかる倫理が有り得るのか、残された課題はこの二点だ。2017/07/21

内島菫

10
本書では、他者が死に比せられているようにみえる。どちらも、私が能動的に引き受けるよりも前に私に負わされた受動的な受動性であり、一方的に負わされるものであり、彼性の顔であり、にもかかわらず(むしろだからこそ)近さにおいて意味を持ち、その意味とは責任である。不安や恐れという一般的な死のイメージが、自我の家に閉じこもっていられるだけの余裕のあるものに思えてくる。ハイデガーが存在論の勝者のようにあるならば、レヴィナスは存在論での負け戦を、言葉から誤用である「正しさ」を抜き取り、果敢に闘っているようでもある。2014/01/09

グスタフ

8
『カラマーゾフの兄弟』を読み始めた。その時、レヴィナスが「存在するのは別の仕方で・・・」の解題を、この書を引用して自ら説明しているのを思いだし、同時進行で読みようになった。「一番罪深いのはこの私です」という死の床でのマルケルの言葉と、一方的な責任を担い他者への人質となることを強いるレヴィナスは呼応するものなのか。しかし、これは、論理的分析や理解の範疇を超えている。最後に訳者の相変わらずの多彩で、ち密なあとがきを読み終えて、やはり思う。2013/07/14

しんすけ

7
レヴィナスは暴力を否定するが、人間が所有なる行為を放棄しない限り暴力は必然である。これはデリダのレヴィナス批判に要約された。それでもなお暴力を否定する方法はあるのか。その足掻きの結果が『存在の彼方へ』とも云える。繰り返しが生じ、既述が再び表れる。これは書くことが思考の整理とも云える哲学書にとっては必然的なものと把持せねばならない。『存在の彼方へ』は『全体性と無限』上梓(1961年)以後の真理獲得に向けた闘いの記録とも云える。1978年までの20年近く語り問うた記録と捉えても間違いではないだろう。 2018/11/22

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/4250

ご注意
リンク先のウェブサイトは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」のページで、紀伊國屋書店のウェブサイトではなく、紀伊國屋書店の管理下にはないものです。
この告知で掲載しているウェブサイトのアドレスについては、当ページ作成時点のものです。ウェブサイトのアドレスについては廃止や変更されることがあります。
最新のアドレスについては、お客様ご自身でご確認ください。
リンク先のウェブサイトについては、「株式会社ブックウォーカー」にご確認ください。