内容説明
古代ローマの運命を、内乱から平和へ、そして共和政から帝政へと大きく変えた英雄カエサルと政敵のポンペイユスとの対決を描く劇的な記録。前四九年ルビコン川を渡ったカエサルは、西はスペインから東はバルカン半島まで、北はアルプスから南は地中海を渡ってエジプトまでローマ世界を東奔西走して戦う。困難を克服し勝利するまでを、カエサル自ら迫真の名文で綴る、『ガリア戦記』と並ぶ重要史料。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
イプシロン
37
読み終わってまず思ったのは、カエサルのバイタリティの凄まじさであった。ガリアの地で8年戦い、内乱で3年(『内乱記』の記述外を入れると4年)、つまり12年にわたって欧州やアフリカを文字通り東奔西走したその逞しさに驚愕したのだ。齢40頃から53歳頃まで、政治闘争に戦場にと駆け回り、かつ『ガリア戦記』『内乱記』の執筆もしたとか、どんだけ絶倫やねん! と思ったのである。そうしてカエサルを見るなら、ポンペイウスが勝てなかったことは、当然のように思えた。しかしそんなことはおくびにも出さず、戦いは勝利の女神の采配だと2022/11/08
ロビン
22
カエサルとポンペイウスによるローマの主導権争いを描いたもの。スッラの内乱というトラウマのあるカエサルは何とかローマ人同士の戦を回避しようと努めたものの、両雄並び立たず。デュッラキウム包囲戦で味方の裏切りによって敗北したカエサルだったが、続くパルサルスの戦いで数では劣るにも関わらず不敗の将軍ポンペイウスを下し、ポンペイウスはエジプトで謀殺される。それにしても、こんなに優れた将軍であり政治家だったカエサルが何故暗殺を許したのか。未然に防げたのではないか。権力の毒が回り慢心したか、スッラになるのを厭ったのか。2022/04/16
加納恭史
18
手稲山の斜面を歩き体調が良くなり久しぶりにこの本を読む。ガリア戦記より評判が良い。塩野七生さんのローマ人の物語でもカエサルの話がやはり有名。この内戦はポンペイユスやスピキオとの決戦が特に有名。ルビコン川を渡ったカエサルは、西はスペインから東はバルカン半島まで、北はアルプスから南は地中海を渡ってエジプトまでローマ世界を東奔西走して戦う。ポンペイユスとカエサルは盟友だったが、ポンペイユスはカエサルの娘ユリアと結婚したが、彼女が死ぬと、スキピオの娘コルネリアと結婚し、ここからカエサルとポンベイユスの仲は裂ける。2024/09/15
鐵太郎
14
國原氏は、カエサルをどのように見ていたのか。若いころ、30代後半頃でしょうか、最初に「ガリア戦記」を翻訳した際に、いままでの何となくカエサル連呼に反発していたのにたちまちその魅力に呪縛されてしまったとあとがきにあります。その後さらに時が経って「内乱記」を訳す時になると、スタンスはまた少し変わったのかもしれない。晩年の、というか暗殺直前の時代のカエサルが、傲岸不遜な驕り高ぶる「王」に成り上がったと、その腐敗を嘆いておられますね。 なるほど。國原氏の訳された「ガリア戦記」、読んでみたくなりました。2008/10/09
ikedama99
9
昼食時に読む本。カエサル本人によるとのこと。ポンペイユスとの戦いを中心とした展開だが、用意周到に物事に取りかかるのだと感じる。決して、いけいけどんどん・・という人ではないのだなと改めて納得する。解説も細かなところは別にしても、この記録にカエサルはいつ、どのように取り組んでいたかに触れられていて、そちらも興味深かった。2016/09/09
-
- 和書
- 貧困を救うテクノロジー