出版社内容情報
19世紀半ばクリミア戦争の戦地病院に派遣されたナイチンゲールは、看護の力を示し、世間の看護の考え方を変え、後進を育てました。1820年、フローレンス・ナイチンゲールは、イタリアのフィレンツェで、両親の旅行中に生まれました。家庭はイギリスの裕福な階層で、夏と冬は郊外の別々の屋敷、春や秋は都会のロンドンに滞在するといった暮らしぶりでした。
ナイチンゲールは、上流階級の習慣として貧しい人々、病気で苦しむ人々にほどこしをすることはたびたびありましたが、それでは根本的な解決にはならないと感じていました。外国旅行の途中で病院を訪問したり、資料を取り寄せて勉強するなど、病人やけが人のケアについて興味を深めていくナイチンゲール。当時看護婦はいい階層の女性が就く仕事ではなかったため、家族にははげしく反対されます。
それでも、やがてクリミア戦争が起こると、ナイチンゲールは国からの要請で、訓練された看護婦チームを率い、現地のイギリス軍の病院で働くことになりました。 傷ついた兵士たちを全力で救うだけでなく、医師と看護婦の仕事のつながりをスムーズにしたり、病院の施設や衛生状況を改善するなど、看護の基本を作ったのです。病院や軍隊の衛生環境の改善を、時のビクトリア女王や、友人でもあった陸軍大臣に訴えたり、戦地での活動が報道されて社会から注目されました。
その後、看護学校をつくり 優秀な看護婦の養成に努め、同時に職業としての地位向上にも尽力しました。
*巻末に人物伝つき
*小学上級から
*すべての漢字にふりがなつき
はじめに
1 わたしは幸福ではない
2 ランプを持ったレディー
3 看護の母として
ナイチンゲールの年表
解説 フローレンス・ナイチンゲール 川原由佳里
ナイチンゲールをめぐる歴史人物伝
ナイチンゲールの精神を受けついだ人たち
村岡 花子[ムラオカ ハナコ]
著・文・その他
丹地 陽子[タンジ ヨウコ]
著・文・その他
内容説明
ナイチンゲールは1820年生まれのイギリスの看護師です。裕福な家庭に生まれ、豊かな環境で育ちました。当時の看護師は上流階級の女性がなる職業ではなかったため、その決断は、家族の大反対にあってしまいます。それでもナイチンゲールは、クリミア戦争の壮雪な戦場へ看護団をひきいて行き、傷ついた兵士たちを全力で看病してすくいました。その活躍はイギリス本国で大きく報道され、社会に影響をあたえたのです。小学上級から。
目次
1 わたしは幸福ではない(美しいフローレンス;エンブリー荘で;人形つくろい ほか)
2 ランプを持ったレディー(クリミア戦争;戦場への道;なにから始めるか ほか)
3 看護の母として(ひそかな凱旋;「小さな陸軍省」で;ナイチンゲール・スクール ほか)
著者等紹介
村岡花子[ムラオカハナコ]
児童文学作家、翻訳家。1893年山梨県生まれ。東洋英和女学校高等科卒業。英語教師を勤めた後、編集者に。英米児童文学の古典的作品の翻訳で活躍し、1932~41年までラジオ番組『コドモの新聞』コーナーで「ラジオのおばさん」として親しまれた。1968年死去
丹地陽子[タンジヨウコ]
イラストレーター。三重県生まれ。東京芸術大学美術学部デザイン学科卒業。書籍のカバー、挿絵、雑誌のイラストを手がけている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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