出版社内容情報
「甲斐の虎」と怖れられた武田信玄は、父をも追放してしまう激しい気性で、天下統一に向けて戦い続けますが、病に夢を阻まれます。 武田信玄は1521年、甲斐の国(山梨県)の石水寺で生まれた戦国武将です。幼名は太郎。父は猛将とうたわれた、武田信虎です。 太郎と、父は仲が悪い親子でした。 太郎も信虎も気性がはげしく ことあるごとに対立するのです。 あるとき太郎は、信虎に自慢の名馬をくれといいます。 信虎は激怒しますが、太郎の言い分は、その馬に乗るのにふさわしいのは父でなく自分だというものでした。
やがて信玄は父を今川義元への人質として追放してしまいます 。「風林火山」ののぼりを立てた信玄の騎馬軍団は、最強の軍隊として、周辺の大名たちから怖れられました。 上杉謙信との5度にわたる川中島の戦いなど 戦につぐ戦を生きぬき、 その存在を力づくで戦国の世に知らしめます。 織田信長がもっともおそれた相手が信玄であり、 徳川家康が勝てなかった相手が信玄でした。
また信玄は、金山開発や、治水工事を行うなど すぐれた政治家でもありました。
天下取りへの意欲を最後まで持ち続けた信玄でしたが、果たせず病に倒れます。息子の武田勝頼に、3年間は死を伏せるようにと言い残し信玄は死にます。武田家は影武者を立てますが、信玄の死はすぐにライバルたちに知れ、わずか9年後、武田は勝頼の代で滅びたのでした。武田信玄、いくさの神様として戦国の世をかけぬけた53年間でした。
*巻末に人物伝つき
*小学上級から
*すべての漢字にふりがなつき
はじめに
1 世つぎの誕生
2 新しい国づくり
3 上洛を目指して
武田信玄の年表
解説 いまもかわりなくしたわれる信玄公 木暮正夫
武田信玄をめぐる歴史人物伝
木暮 正夫[コグレ マサオ]
著・文・その他
寺田 克也[テラダ カツヤ]
著・文・その他
内容説明
武田信玄は、1521年、甲斐の国(山梨県)に生まれた戦国武将です。「風林火山」の、のぼりを立てた騎馬軍団は最強の軍隊としておそれられ、上杉謙信との5度にわたる川中島合戦など、いくさに次ぐいくさを生きぬいて、その存在を力ずくで戦国の世に知らしめました。織田信長がもっともおそれた相手が信玄であり、徳川家康がゆいいつ負けた相手が信玄でした。また信玄は、金山開発や、治水工事を行うなど、すぐれた政治家でもありました。ついに天下を視野に入れはじめたころ、戦国の世をかけぬけた53年の命はつきてしまったのでした。小学上級から。
目次
1 世つぎの誕生(甲斐の猛虎、武田信虎;父にきらわれた子;あざやかな初陣 ほか)
2 新しい国づくり(甲斐のあるじ;諏訪氏の悲劇;軍師、山本勘助 ほか)
3 上洛を目指して(決戦、川中島;開けてきた京への道;最後の出陣)
著者等紹介
木暮正夫[コグレマサオ]
児童文学作家。1939年群馬県生まれ。1959年に毎日児童小説賞で『光をよぶ歌』が入選し、児童文学の世界に入る。創作童話からノンフィクションの分野まで、幅広く活動。赤い鳥文学賞、日本児童文学者協会賞受賞。2007年死去
寺田克也[テラダカツヤ]
イラストレーター、漫画家。1963年岡山県生まれ。ゲーム、アニメ、実写映画のキャラクターデザイン、小説のカバー、挿絵、漫画など、幅広い分野で活躍中。海外での仕事も多い
八多友哉[ヤタトモヤ]
イラストレーター。大阪府生まれ。ゲームや児童書で活躍中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。