星海社新書
文学の読み方

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  • サイズ 新書判/ページ数 249p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784061386006
  • NDC分類 910.26
  • Cコード C0295

出版社内容情報

文学とは「錯覚」に過ぎない――! 坪内逍遙からなろう小説まで、同時代史料に基づいて展開される、まったく新しい日本文学史入門。''錯覚,,と苦闘する、日本近代文学の一〇〇年史
いったい、日本の文学とは何なのでしょう? 本書の出発点は、そんな素朴な疑問にあります。明治以来一〇〇年以上に及ぶ歴史がありながら、具体的で納得できる「文学」の定義はどこを探しても見つかりませんし、権威ある文学賞の授賞基準もいまだに一定しないようです。なぜ、日本の文学はこんなふうになってしまったのでしょう? 実は、その原因は「文学は現実を描ける」「文学は人間を描ける」といった、いくつもの“錯覚”にあるのです。本書では、それらの錯覚がどのように生まれたのか、各時代の史料から確認しつつ、日本近代文学史を記述していきます。さあ、ともに教科書では語られない、秘められた文学史をさぐる旅に出ましょう!

序 章 そもそも何が文学なのか?
第一章 1979年の村上春樹
第二章 文学は人の心を描けない
第三章 メディアが作家と文学を作る
第四章 文学のジャンル化
第五章 純文学など存在しない
第六章 文学史が作られていく
第七章 錯覚は露見する
第八章 文学とは錯覚にすぎない
終 章 ある錯覚の未来について
あとがき


さやわか[サヤワカ]
著・文・その他

内容説明

いったい、日本の文学とは何なのでしょう?本書の出発点は、そんな素朴な疑問にあります。明治以来一〇〇年以上に及ぶ歴史がありながら、具体的で納得できる「文学」の定義はどこを探しても見つかりませんし、権威ある文学賞の授賞基準もいまだに一定しないようです。なぜ、日本の文学はこんなふうになってしまったのでしょう?実は、その原因は「文学は現実を描ける」「文学は人間を描ける」といった、いくつもの“錯覚”にあるのです。本書では、それらの錯覚がどのように生まれたのか、各時代の史料から確認しつつ、日本近代文学史を記述していきます。さあ、ともに教科書では語られない、秘められた文学史をさぐる旅に出ましょう!

目次

序章 そもそも何が文学なのか?
第1章 1979年の村上春樹
第2章 文学は人の心を描けない
第3章 メディアが作家と文学を作る
第4章 文学のジャンル化
第5章 純文学など存在しない
第6章 文学史が作られていく
第7章 錯覚は露見する
第8章 文学とは錯覚にすぎない
終章 ある錯覚の未来について

著者等紹介

さやわか[サヤワカ]
ライター、評論家。1974年北海道生まれ。大学卒業後、音楽業界・出版業界での会社勤務を経て執筆活動に入り、ライターとして『クイック・ジャパン』『ユリイカ』『朝日新聞』、『ジセダイ』などを舞台に、ゼロ年代以降のカルチャーの変容を肌身で感じながら幅広い分野について評論を行う。初の単著『僕たちのゲーム史』(星海社新書)では、独自の文脈でコンピューターゲームの30年史を提示し絶賛を浴びた(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

やすらぎ🍀

187
新しい表現はいずれ自然と受け入れられていくが、いつの時代も否定されてしまう。文学は現実を描くものなのか、読者が感情移入しやすいようにするものなのか。読者側はどう読むのか。描写は細かいほうがいいのか、空気感を重視するのか。優れているという判断は何を基準にするのか。作者の気持ちが伝わってこないから非なのか。人間性の濃さがないから浅いのか。評価を受けても語り継がれないもの、候補に上がらず支持を得るものもある。読みたいものを求め続ける私たちがいる限り、物事や景色、感情を文字だけで表現する文学は生まれ続けるだろう。2023/12/14

厩戸皇子そっくりおじさん・寺

73
星海社新書はちょいちょい面白い本を出すので油断ならない。「文学」という概念に疑惑を以て眺めた日本近代文学史。面白い。村上春樹があれほど人気がありながら、微妙に不遇な感がある理由が解った気がする。文学には人間は描けない。そう言われればそんな気もする。たぶん文学の基準は人それぞれで、雰囲気によるところが大かも知れない。誰と誰に評価されているかも大きいだろう。しかし冒頭の、又吉直樹『火花』への和田アキ子の言及は、アッコの相変わらずのデリカシーの乏しさによる気がする。まあ文学が雰囲気ならば、批評もまた雰囲気か。2020/12/02

harass

69
レビュで気になっていてようやく図書館に入ったので借りる。初読み著者。若手サブカルライターらしい。又吉直樹の芥川賞受賞や村上春樹作品への先輩作家たちの批判から始まり、日本小説の起源と歴史、そして「文学」とは何かを論じる。聞いたことのあるのトピックが多く、結論は誠実な落とし所で、少し釈然としない気持ちもあるのだが、これ以上無駄な論議をしなくてすむ。上手くまとめて読みやすく、一気に読み終えた。なかなかの書き手ではないかと感心。唸るところも多く良い本。おすすめ。「文学とは錯覚である。だけどもこだわり続けたい。」2017/06/22

ロマンチッカーnao

28
純文学とは何か。そんな定義はない。大衆化された文学とわけるために純粋な文学と営業的に区分けしてみただけの事であり、損失的な純文学などはどこにも存在していない。純文学が、現実も人も人の心も描くことなどできない。出来たと思っているのは錯覚である。エンタメ、ライトノベル、ミステリー等々の中の一ジャンルとして芥川賞という権威と共に存在しているのが純文学というものである。明治以降の日本の文学史を読み解きつつ、丁寧にそして簡潔に読みやすく解説してくれています。賛同する、しないはあるだろうけどかなり良い本でした。2018/01/14

おおにし

23
「文学とは、人の心を描くものである。」「文学とは、ありのままの現象を描くものである。」この2つの錯覚が明治時代から日本文学界を支配してきた。村上春樹が芥川賞に2回ノミネートされても受賞できなかったのは、ここに原因があった。芥川賞の審査はこの錯覚の元で行われ続けたため、賞の権威は低下してしまい、今では作家の経歴や話題性が作品の内容よりも受賞を左右しているのではないかという指摘には私も同意。それでは、この日本文学の錯覚をどう解消していくべきか、そこまで論じてほしかった。2017/04/29

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