出版社内容情報
今、もう一度振り返ってみると、深き淵には、澄んだ美しい水が湧き出ていたような気がします――。四肢の自由を失い絶望の淵にいた青年教師が、筆をくわえて綴った生命の記録。感動の輪を広げた超ロングセラーが、発刊40周年を記念して生まれ変わりました。
内容説明
言えないもどかしさに耐えられないから絵を描くのかもしれない、うたをうたうのかもしれない…。四肢の自由を失った青年教師が筆をくわえて綴った生命の記録―。
目次
1 哀しみの青い空’70・6・17~6・20
2 母を道づれに’70・6・21~8・30
3 重荷を背負った人々’70・9~’72・2
4 字を書きたい!’72・3~’73・6
5 絶望のはてに’73・7・10~’74・12・21
6 詩画に明日を託して’75・3~’78・10
7 新たな旅立ちの日’78・4~’79・9
著者等紹介
星野富弘[ホシノトミヒロ]
1946年4月24日生まれ。群馬大学教育学部卒業後、高崎市立倉賀野中学校赴任。2か月足らずで、クラブ活動指導中、頸髄損傷を負う。首から下の運動機能を失うが、口に筆をくわえて詩を書き絵を描く。1981年春、結婚。1991年ふるさとの群馬県勢多郡東村草木ダムのほとりに、富弘美術館が建設され、作品が常設されている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
優希
49
一瞬で首から下の感覚を失う体育教師。命が助かっただけでも幸いと言って良いでしょう。そこからの苦しみは想像することができません。並大抵の苦しみではなかったと思います。そんな中だからこそ声を出せたときの意思を伝えられることの有り難さが伝わってきました。口にペンを加え字や絵を描く姿は星野さんの生きた証です。全てが尊いこと。何度も自殺を考えた人の心の叫びが刺さります。何度も泣きそうになりました。生きていることに感謝しないといけないですね。精一杯日々を歩んでいきたいものです。2024/05/15
harupon
15
体育教師として赴任して2か月足らず、クラブ活動指導中に頚髄損傷。首から下の自由を失う。24歳息子に付き添う母親の心労たるや想像を絶する。富弘さんの絶望の淵から絵筆を口に加えて生み出した作品の数々。いつか富弘美術館に行ってこの目で見てみたい。2024/04/21
ゆう
3
星野富弘さんの作品が展示されている富弘美術館へ行った。富弘さんは20代前半で首の骨を痛めてから全身が動かない。星野富弘さんが生きてきた人生は並大抵の苦労でなかっただろう。治療のために喉を切開して声さえ出せない時期もあった。その後、声が出せるようになったときには、意思を伝えられることがどれだけ有難いことかわかった、と星野さんは言う。絶望し、自殺したいと考えていたときのことも書いてある。命はすべて生を受けたときに死ぬことが決まっている。与えられた命を自然の死が訪れるまで、精一杯生きる。2021/04/02
oanchan
2
24才の新米中学体育教室が事故でほぼ全身を動かすことができなくなり、長い入院生活から退院するまでを綴った手記。自分で涙も拭えず、食事も排泄もできない状態になって、生きる意味や葛藤が比較的淡々と描かれている。どんな状況になっても簡単に幸せを追及する気持ちを失ってはいけない。著者の精神力と人間性に感動を覚えた。お母様の看護と群馬大病院の素晴らしい医療行為も然り。でも、今だったらこんな医療を受けられるだろうかと考えてしまった。2024/10/27
のん
2
図書館の追悼コーナーで見つけました。20歳の頃この初版を養護学校(当時)の教育実習で薦められて読み、衝撃を受けました。これは読むべき本だ!と家庭教師先の中学生にも薦めた記憶があります、強引に。あれから30数年、あの頃の感受性が私に残っているのだろうかと思いつつ再読。もしかしてそのポイントは違ったかもしれないですが、涙腺が緩くなるのを堪えながら一気に読了でした。良書に変わりなかった。星野さんありがとうございました。2024/06/02
-
- 和書
- 汚れた雪 創元推理文庫