昭和二十年夏、子供たちが見た日本

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  • サイズ B6判/ページ数 314p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784048850988
  • NDC分類 916
  • Cコード C0095

内容説明

疎開先の村で杉並木に向かって歌いかけた角野栄子。進駐軍のジープに憧れた児玉清。空襲で鉄骨だけになったピアノを見た舘野泉。満洲の芸者置屋で育った辻村寿三郎。大阪大空襲の日、火焔ドームの中を逃げ延びた梁石日。バラの鉢植えを持って疎開し、拾った子雀を育てた福原義春。アッツ島、サイパン島、硫黄島に慰問に行った中村メイコ。トルストイやチェーホフを燃やして暖を取った山田洋次。焼け跡の闇市で予科練帰りの青年が殺されるのを見た倉本聰。ピョンヤンからソウルへ、闇のトラックで38度線を越えた五木寛之。10人の戦争、そして10人の戦後。

目次

私は疎開してみたかったのね。違うところに行ったら、違う世界が見えるんじゃないか、別の運命があるんじゃないか。そう思ったの。…角野栄子
そうしたらね、入ってきたんですよ。ジープを先頭に。ついこの前まで、鬼畜米英と思っていたんだけど、目の前で見ると、やっぱり輝いて見えてしまう。…児玉清
僕は、いい時代に育ったと思っているんです。敗戦直後の、ものすごく自由で解放された雰囲気。誰もが貧しかったけれど、活気があった。…舘野泉
原爆ドームに行ってみたら、ふっと出てきたんです。ええ、みっちゃんが猫を抱いていて。あの猫はね、冷たかった。死んでる猫だったのよ。…辻村寿三郎
あのころは女学生も来て、僕の見ている前で打っていた。僕、聞いたんですよ。「なんでヒロポン打つの」って。そしたら「痩せたいから」。…梁石日
出征した担任教師が戦死。これからまだまだ、いろいろなことが起こるにちがいないと思いました。とにかく憂鬱でした、世界が。…福原義春
ええ、私にはわかっていました。この人たちはもうすぐ死んでいくんだって。一度飛び立ったら還ってきてはいけないということも。…中村メイコ
終戦後の大連ではコックリさんが大流行しました。大の大人が「コックリさん、コックリさん、私たちはいつ帰れますでしょうか」とやる。…山田洋次
僕はたぶんあのとき、心底怖かったんだと思います。もしかしたら僕があの浮浪児になっていたかもしれない。何かが間違ったら、あの少年は僕だったかもしれない、と。…倉本聰
少なくとも兵士は銃を持って戦場に出た。でも一般の市民は、誰も守ってくれない無法状態の中に丸腰のまま放り出されたのです。…五木寛之

著者等紹介

梯久美子[カケハシクミコ]
1961(昭和36)年、熊本市生まれ。北海道大学文学部卒。編集者を経て文筆業に。2006(平成18)年、初の単行本である『散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。同作は米・英・仏・伊など世界8か国で翻訳出版されている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

Natsuki

58
昭和二十年夏、・・・兵士たち・女たちに続いて、3冊目は子供たち。今作は10人の著名人に対するインタビューで構成されています。子供は、親や身の回りの大人をよく見ているんですね。見て・聞いて・感じて、ちゃんと解っている。でもそこに施される教育によって大きく左右される。特に印象的で素敵だなと思ったのが、中村メイコさんのご両親です。「答えをひとつに絞ると人生は息苦しいよ」のくだりは、今の自分にも響くものがありました。お父さんちょっぴり言い訳っぽい所もあるけど、一本芯が通っていて、ストンと落ちてくる。2015/08/11

ころりんぱ

36
子どもの目から見た戦争、10人の著名人へのインタビューをまとめてある本。とっても読みやすかった。親の職業や住む場所によって、同じ戦時下にありながらも子どもの生活環境や感じ方、ものの考え方が大きく違うのがよくわかる。そして子どもながらに大人の世界をよく見ている、憶えている。時代の流れに乗った親、精神的に抗った親の様子も生き生きと。あの戦争を生き抜きそれぞれの道で有名になった方々だが、幼い頃の体験が魂の一部となって人を作っているのだなぁと興味深かった。子どもって弱いけどたくましい。中村メイコ父は素敵。2014/03/05

キクチカ いいわけなんぞ、ござんせん

29
敗戦時、その時子供だった人に、当時の出来事についてのインタビュー。早く戦場に行って死にたかった児玉清氏。幼いながら歌手としてトラック諸島や硫黄島で歌っていた中村メイコ氏。中村メイコさんは特攻隊の前でも歌っていた。大人になってから彼等が次の日に死ぬ運命だった事に思い至り、涙が止まらなくなったと言う。疎開先でビオフェルミンの甘みを求め、蛇やセミまで食べた倉本聰氏。ピョンヤンでソ連兵に腹を踏まれて吐血する母を見た五木寛之氏。子供ゆえに周りの大人を注意深く観察していて、語るにつれ記憶が蘇るようだ。2018/10/07

ケニオミ

4
子どもは侮れませんね。 子供だからかもしれませんが、よく記憶していますね。2011/09/06

さざなみ

2
平和ボケしている今の人たちには考えられない壮絶な経験をされた話ばかり。 でもその中で中村メイコさんの経験談にはユーモアもまじえて語られ、今もユニーク方だなと思わせられる性格がこのころから備えておられたんだなと思った。 登場する人たちはそれぞれ有名人となられ成功された人たちばかり、無名のまま浮かばれない多くの人たちもここに登場する人と同様いや、もっと過酷な経験をされてるんだろうなと思う。2020/03/26

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