内容説明
地震・火事・水害・干魃・疫病…度重なる危機に大名たちはどう立ち向かったのか。幕府安定化に尽力した外様大藩・藤堂藩の記録を中心に、対応を読み解く。見えてきたのは、時に重い租税を課しながらも、有事には財政を傾けてまで行われる迅速な支援だった。藩主と領民との間に醸成された信頼関係は、財政強化による自立の原動力となり、雄藩の登場によって、幕藩体制は終焉へと至る―時代の転換を読み解く、新視点!
目次
第1部 行政としての災害復興(領民を救う藩;戦災からの復興;藩公儀の誕生)
第2部 災害が歴史を動かす(責務としての災害復旧;災害と藩の自立)
著者等紹介
藤田達生[フジタタツオ]
1958年、愛媛県生まれ。神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。学術博士。現在は三重大学副学長、教育学部・大学院地域イノベーション学研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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パトラッシュ
62
災害時に国や自治体が支援するのは当然だが、そうした危機管理が民政として広まったのは江戸期にあることを伊勢藤堂藩の事例を通じて解明する。領地領民を守り藩主との信頼関係を構築することこそ、支配の安定化に不可欠と武士が認識したからだ。しかし、天災や疫病に苦しむ人びとを助けるのに金がかかるのは今も昔も変わらない。藩だけではやっていけないと幕府に助けを求めるが、災害が続くと幕府も無限に支援できない。結果、各藩は生き延びるため自立を進め幕末を招いたのだ。コロナ禍の現在、災害から民を守れないと見切られた国は滅びるのか。2021/06/18
鮫島英一
10
最初に描かれている藤堂藩の災害対策は、正直あまり面白くなかった。だが、国土領有権を将軍より拝領しているという「預地思想」や、藩という存在はなにかが語られる辺りから面白くなる。伊達や島津のように国替えにならなかった大名も、将軍交代ごとに領地を返却し拝領されていた。いわば地方行政官僚か国司のような存在にすぎなかった。昔から伊達藩と言わず仙台藩と呼んでいたのが不思議だったけど、これで納得。自分の領地でないから伊達という家名で呼べるはずもなく、地名が藩名になるのも道理だな。2021/12/26
Meistersinger
4
藤堂藩を代表例に、災害被災者救済に動く大名を描く。預治思想として領地領民を私物ではなく、委託を受けた統治者として治める思想が江戸時代に形成されたことを背景にしている。感染症流行下での対策として、世情の不穏を防ぐために練歩き(パレード)が行われたのは面白い。2021/07/12
卓ちゃん
3
江戸時代の農民支配のイメージは、「百姓は生かさぬよう殺さぬよう」だったが、実はそうではなかったようだ。 領地・領民・城郭については、天から天皇を介して天下人(将軍)が預かっており、天下人は器量に応じて諸大名にその一部を預けるというものであった(預治思想)。 江戸時代前期にあたる藩政の成立期には、伊勢の国の藤堂藩では藤堂高久、岡山藩では池田光政、熊本藩では細川忠利といった名君が輩出し、いずれも戦災や大飢饉からの復興のために、公私の区別を心掛けた行政の確立のために陣頭指揮を執ったそうだ。 2021/06/22
kaikaikorokoro1
2
江戸時代、災害発生時に、領民への藩主や幕府の対応について、藤岡藩を中心に記述している。領知権は預かりものであるという預治思想を初めて知りました。幕末に幕府や藩が財政的に災害に対応できなくなり、民間活用の方向の舵をきっていった。結果、御用商人が利権をむさぼるようになり、百姓たちは藩を尊敬する念や、役人を恐れる気持ちを失い、「民風」が悪くなった。統治者との信頼関係が失われた。「歴史は繰り返す」のね。一度目は悲劇として、2度目は喜劇として…。2021/08/09