角川選書<br> 鎌倉仏教

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角川選書
鎌倉仏教

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  • サイズ B6判/ページ数 260p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784047037076
  • NDC分類 182.1
  • Cコード C0315

出版社内容情報

栄西、法然、親鸞、道元、日蓮、一遍。伝統の枠組みを逸脱し、自分の心に偽らず、仏教と真摯に向かい合った鎌倉新仏教の宗祖たち。常識を覆す独創的な教えが社会に衝撃を与え、体制側からは異端視された。不当な法難を経験して彼らの思想は鍛えられ、深化していった。多様化する仏教を坐禅・念仏・信心・唱題の一行に統合した「専修」に焦点を当て、そこに込められた思いに注目。動乱の世に誕生した「異端」の仏教に迫る。

内容説明

栄西、道元、法然、親鸞、日蓮、一遍。現代まで続く一大宗派を築いた鎌倉新仏教の宗祖たちだが、あまりに独創的なその教えは、当時の社会常識を覆し、体制側から異端視された。伝統の枠組みを逸脱し、自分の心に偽らず、仏教と真摯に向かい合う―多様化した仏教を坐禅・念仏・信心・唱題の一行に統合する「専修」に焦点を当て、そこに込められた彼らの思いに注目。数数の法難を経験してなお深化していった「異端」の思想に迫る。

目次

序章 昏迷の現代―今なぜ鎌倉仏教なのか
第1章 専修の意味―オールインワンという視点
第2章 平安の仏教―最澄と空海
第3章 栄西の仏教―兼修禅
第4章 道元の仏教―只管打坐
第5章 法然の仏教―念仏
第6章 親鸞の仏教―信心
第7章 日蓮の仏教―唱題
第8章 一遍の仏教―名号
終章 異端の価値―宗派仏教の未来

著者等紹介

平岡聡[ヒラオカサトシ]
1960年京都市生まれ。佛教大学文学部仏教学科卒業。同大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。ミシガン大学アジア言語文化学科留学。京都文教大学学長、京都文教学園学園長。博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

bapaksejahtera

11
我が国外からは、時には仏教と見なされぬ、鎌倉期に成立した宗派。その祖師栄西、道元、法然、親鸞、日蓮及び一遍について、彼らの異端の教説を取り上げる。異端とは冒頭述べられるようにポピュリズムの反逆とは真反対。正当たらんとして言挙げする思想・行動である。そしてその挙に及んだ祖師方の思想について、本書は要領よく述べ、やや難解乍ら何とか理解し得る。律を重んじ教学と実践により到達する境地を、坐禅・念仏・信心・唱題の一行に専修する事で時代の不安に慄く大衆を教化せんと図った試みとその理論的合理化。中では一遍に心惹かれる。2023/03/12

4
伝統仏教=正統から異端とされた鎌倉仏教を、「専修」という視点から論じる。(栄西はこの枠組みにイマイチ当てはまらないが)道元・法然・親鸞・日蓮・一遍が仏教全体、ブッダの教えを何らかの行(専修)に集約したという切り口に説得力を感じた。2023/11/12

アンパッサン

4
知らぬ間に平岡聡の本二冊目。仏教は、後発であるほど先輩方の思索を奪いとるような法論が出せる(法華経バンザイは変わらぬが)ので、日蓮だけが全部どりで、お得で、嫌だなあ(そういいながら日蓮、結構読んでる)と思っていたら、それすら凌駕、いや内包する、しかも他宗を貶めたりしない一遍という存在をこの本で知って、「すげえ」しか出てこない。信じていようがいまいが念誦札を配る、踊りという身体性をともなった念者一遍。次は彼に目を向けようと思う。仏教はこうだ云々よりも、彼らが「これでいい!」って定義していく過程が刺さります。2022/12/29

やご

1
いわゆる鎌倉新仏教諸派について、特に「専修」(読みはセンジュ・他の修行法を排し、一つの修行法のみを選択すること)に注目して解説したもの。まずは専修の意義から入り、先行する平安仏教の代表者である最澄と空海の思想に触れ、続いて栄西(臨済宗)、道元(曹洞宗)、法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、日蓮(法華宗)、一遍(時宗)を紹介していきます。 著者は仏教研究者であり、浄土宗の僧侶でもあります。 (続く)→ https://gok.0j0.jp/nissi/1182.htm2021/07/03

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