角川文庫 角川ソフィア文庫<br> 日本再発見―芸術風土記

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角川文庫 角川ソフィア文庫
日本再発見―芸術風土記

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  • サイズ 文庫判/ページ数 304p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784044094881
  • NDC分類 291.09
  • Cコード C0170

出版社内容情報

人間の生活があるところ、どこでも第一級の芸術があり得る――。秋田、岩手、京都、大阪、出雲、四国、長崎を歩き、その風土に失われた原始日本の面影を見いだしていく太郎の旅。著者撮影の写真を完全収録。

内容説明

「逞しく人間が息をし、生活する場所には、どこでも第一級の芸術があり得る。」戦後、縄文との鮮烈な出会いを果たした太郎は、同時代の日本を歩く旅を思い立つ。多忙な制作の合間に訪れる、秋田、岩手、京都、大阪、出雲、四国、長崎。各地で目のあたりにする人や風土は、失われた原始日本をしのばせると同時に、伝統と近代にひき裂かれた現代日本の矛盾を鋭く突きつけるものだった。著者撮影の写真を完全収録。

目次

秋田
長崎
京都
出雲
岩手
大阪
四国
日本文化の風土

著者等紹介

岡本太郎[オカモトタロウ]
1911年生まれ。29年に渡仏し、抽象芸術運動に参加。パリ大学で哲学、社会学、民族学を学び、ジョルジュ・バタイユらと活動をともにした。40年に帰国し、戦後、前衛芸術運動を展開。70年、大阪万博で“太陽の塔”を制作。さまざまなメディアで発言を続け、「芸術は爆発だ!」などの名言を残した。1996年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

s-kozy

56
太郎が秋田、長崎、京都、出雲、岩手、大阪、四国をあくまでも芸術家として旅して、その土地の人々や風土を見届け、そこから感じたこと、考えたことを記録したもの。だから「芸術風土記」。根底には「逞しく人間が息をし、生活する場所には、どこでも第一級の芸術があり得る。」との思いがある。迸る思いで各地を訪ね、率直な思いを文章にまとめてあり、興味深い。取材したのは1957・昭和32年頃のはずだから、まだ日本が貧しかった時。その頃の日本各地の姿を知ることもでき、紀行文としても優れている。太郎撮影の写真の完全収録も嬉しい。2018/03/26

ホークス

37
1957年の連載。秋田、長崎、京都など7篇の探訪記で写真は著者撮影。貧しく古い日本を、同情も慰めも抜きに解剖する岡本太郎の気合。長崎ならば、輸入文化による開けた感性はあるが新しい展開がないと断じる。京都ならば、品や格はあるがモダンを解さず表面だけ真似て、新取の精神を忘れていると厳しい。茶道本来の闘争性、前衛性も京都から回復せよと迫る。アクが薄らいだ大阪に対しては現実的な提案をする。常に体裁を繕わず泥くさい。「ひねこびた」「チマチマした」日本人を否定し、「のびのびと開け」と今もあの世から挑発し続けている。2019/07/28

ロビン

21
「ほとんどすべての日本人が、芸術なんて高級なものは自分と関係ないと思いこんでいるし、また事実関係なく生きているといってよいだろう。しかし私はそれが必ずしも悪条件だとは思わない」こう考えて秋田、長崎、京都、出雲、岩手、大阪、四国へと芸術発見に挑んだ太郎の民族学的旅行記。商業の街大阪では苦戦するものの、困難だとかえってファイトが湧く太郎は諦めない。悪いところをズバッと批判するが、その土地の人びとのことを思い、可能性を信じる故の率直さなのだ。そしてこの風土記で、民族独自の民衆のエネルギーという希望を発見した。2022/07/14

吟遊

10
岡本太郎が東北、長崎、京都、四国を遍歴しながら、現地で感じたことを芸術に結びつけて語る本。初出は1957年(連載時)なので、土地の趣も現在とは異なり、それを読む(写真もある)だけでも面白い。岡本太郎独特の語り口調がぐいぐいと引き込む。思想的には平凡なところも多いが、目の付け所や見て回ってやろうというバイタリティはユニークだし、読み通してわくわくさせる本である。2016/07/04

nizimasu

10
同時期に復刊された「神秘日本」と対になるような作品。日本の土着の美を探る旅のはずがそこから見える変節してしまった日本の地方のありようを嘆いたりお茶を巡る堂々巡りのような議論に嘆息してみたりと岡本太郎さんの芸術に対する思いがほとばしる一冊。なぜこんなに辛辣で憤っているのか。不思議に思うのだが西洋美術のコピーでしかない日本の現代美術界に劇薬を投じてやろうという野心が垣間見える。だがそこにはむしろ形骸化した縄文の伝統があるばかり。それでも秋田から長崎まで尋ねる原動力こそ芸術に他ならない。日本論としても秀逸2015/09/17

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