角川文庫 角川ソフィア文庫<br> ペリー提督日本遠征記〈下〉

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角川文庫 角川ソフィア文庫
ペリー提督日本遠征記〈下〉

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  • サイズ 文庫判/ページ数 576p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784044092139
  • NDC分類 291.09
  • Cコード C0121

内容説明

1854年、第一回を上回る大部隊で再び江戸湾を訪れたペリー。白熱の議論を経て、ついに日米和親条約が結ばれる。蒸気機関車や電信機などの贈り物を前に、人々は好奇心を顕わにし、軍艦に乗りこむ者さえ現れた。その国民性を見て、ペリーは開国の成功を確信する―。約二年の遠征を通してペリー艦隊が捉えた当時の世界状況、幕末日本の外交政策や風俗文化の全貌が明らかになる。帰国の翌年に刊行、世界を驚嘆させた日本論!

目次

三度目の琉球訪問
中国海域のペリー艦隊―香港・マカオ・広東
四度目の琉球訪問
日本再訪
横浜上陸
日米和親条約(神奈川条約)の調印
江戸湾を離れ下田へ―条約の発効
下田滞在、箱館へ
箱館訪問
松前藩との会見、下田で付加条項合意
琉球と協約を結ぶ―日本遠征の終了
日米和親条約の批准交換

著者等紹介

ペリー,M.C.[ペリー,M.C.]
1794‐1858。マシュー・カルブレイス・ペリー。海軍一家に育ち、1809年海軍にはいる。ニューヨークの海軍工廠でアメリカ初の蒸気機関軍艦を建造し、「蒸気軍艦の父」と呼ばれる。アフリカ艦隊司令長官、メキシコ湾艦隊司令長官を歴任、アメリカ・メキシコ戦争で武勲をあげる。郵政長官の要職を経たのち東インド艦隊司令長官として日本遠征を指揮した

宮崎壽子[ミヤザキヒサコ]
オフィス宮崎代表。1984年の創立以来、出版翻訳および業務翻訳、編集、デザイン、書籍やイベントのプロデュースなどを手がけている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

やいっち

72
ペリー提督一行が日本に来る際、いかに深く日本の歴史や文化 風習などを研究し尽くしていたか。あいてが小さな国であろうと、決してあなどることはなかった。日本に対しては、武力じゃなく、談判交渉で開国へ導いた。維新前後の歴史を俯瞰する意味でも、さらには読み物としても興味深く面白い。必読の書である。2015/04/14

kitten

15
ペリー提督遠征記の続き。1853年、浦賀に来航。1854年、日米和親条約。てっきり、一回アメリカに帰ってるかとおもいきや、そんなことはなかった。琉球とか、小笠原諸島とか、香港や中国界隈を飛び回ったあと、ロシアの動きが気になって予定よりも早く日本にやってきた、と。そりゃ、疲れも出るよ。日本人は非常に好奇心旺盛で、手先も器用。優秀な国民だと見抜かれていた。吉田松陰が密航を企てたこともがっつり書いてある(吉田松陰とは書かれていないが)し、好意的に受け止めている。この時代の日本人、結構物知りだったんだな。2022/08/12

urano_takashi

6
静岡県下田市の描写を読もうと、昨年4月に購入。その後、少しずつ読み進め、1年かけて読了した。ものすごく面白い。これは上巻も買いだな! ペリー御一行は、日本人が宴会の残り物を懐紙に包んで持ち帰るのを見て、たいそう驚いていた。この習慣は江戸時代から変わらないのかー。いまは「持ち帰り厳禁」の店ばかりだけどね。それから、話には聞いていたが、ペリー御一行に力士を対面させたくだりは迫真の筆致だった。そして、御一行が力士を「下品なけだもの」と見ていたとは、思いもしなかった。ほかにも面白い描写がたくさん。読まなきゃ損。2016/03/30

jinginakineko

4
ペリーと言えば武力を盾に「未開国日本」へ開国を迫ったというイメージがあり、確かに「最終手段は武力」と考えていたのは間違いないが、思ったほど蔑視していたのではないらしい。日本についてあらゆる分野を調査し、来日してからも観察を続ける姿は、軍人としての責務もあろうが、どこか人文学者を思わせた。お歯黒女子だけはダメだったようだが、日本文化全般を公平な目で描写している。 役人たちと少しずつ理解し合う姿、密航を望む若者(実は吉田松陰)の向学心への感動。お互いの目的を超えた人間同士の触れ合いがそこにあった。2022/02/14

Hiroshi

4
下巻は江戸で親書を渡し琉球に戻るところから始まる。ペリー提督は琉球からマカオ・香港に戻り船を修理し、翌年1854年1月に出航し、琉球に寄ってから江戸弯に2月11日に到着した。浦賀で親書に対する友好的な回答を得て、3月31日に日米和親条約が横浜で調印された。下田・函館が避難港として開港された。開港にあたっての取り決めを決めて、下田より琉球に戻り協約を結んだ。そして香港に戻る。遠征記はここで終わる。ペリー提督が香港で下船して陸路で帰国したからだ。翌1855年1月にペリーは帰国し、4月にミシシッピ号は帰港した。2018/04/21

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