出版社内容情報
大正9年、柳田は九州から沖縄諸島を巡り歩く。日本民俗学における沖縄の重要性、日本文化論における南島研究の意義をはじめて明らかにし、最晩年の名著『海上の道』へと続く思索の端緒となった紀行文。
内容説明
南の島々にこそ日本文化の源流があるのではないか。大正九年、九州・沖縄諸島を旅した柳田は、歴史と現実との間を行き来しながら発見を繰り返す。日本民俗学における南島研究の意義をはじめて示し、最晩年の名著『海上の道』へと続く思索の端緒となった紀行文。
目次
海南小記(からいも地帯;穂門の二夜;海ゆかば;ひじりの家;水煙る川のほとり;地の島;佐多へ行く路;いれずみの南北;三太郎坂;今何時ですか ほか)
与那国の女たち
南の島の清水
炭焼小五郎が事
阿遅摩佐の島
著者等紹介
柳田国男[ヤナギタクニオ]
1875年、兵庫生まれ。1900年、東京帝国大学法科大学卒。農商務省に入り、法制局参事官、貴族院書記官長などを歴任。35年、民間伝承の会(のち日本民俗学会)を創始し、雑誌「民間伝承」を刊行、日本民俗学の独自の立場を確立。51年、文化勲章受章。62年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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- 評価
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
HANA
38
沖縄旅行記と南島に関する論文を収録。後年語られる沖縄の宗教についてはあまり触れられておらず、伝説や人々の営みが中心となっている。論文は主に文化の伝播についてのものが中心。島の清水を巡る話、炭焼き長者伝説と鉱物を巡る話や蒲葵を巡る話等読んでいて面白くないものはなかった。後年書かれた「海上の道」に通じるテーマがいくつも出ているように思える。読んでいて思うのだけど、旅行記にしても論文にしても兎に角文章が美しいなあ。読んでいて一度だけ訪れた事のある沖縄の青い空や海に、もう一度引き寄せられるような気がした。2013/07/21
翔亀
34
【沖縄37】柳田国男が官吏を辞めて挙行した2か月にわたる沖縄旅行の紀行文プラス同時期の論考集。退官して満を持しての沖縄行きだったのだろう。1921年のこと。彼の沖縄と言えば最晩年の「海上の道」(1961)のイメージが強いが、意外に早くから沖縄に注目していたことを知る。ただ紀行文としてはどうだろうか。旅は大分県から始まり大隅半島の南端を経て、奄美大島、沖縄本島、宮古、八重山へと渡るが、九州南部の道程の興奮に比べると、沖縄の島々の描写は精彩に欠けるような気がしてしまった。自ら書いているように「常に一箇の↓2021/12/13
Aminadab
23
『明治大正史世相編』に続いて本書(初出は1921年)。柳田は46歳で農商務省官僚を辞めた直後の九州・奄美・沖縄紀行。新聞連載29回の一話完結なので何とか読め、読めてみればあわれ深くて○だが、『世相編』同様読者に親切ではまったくない。伊波普猷(いはふゆう)の『古琉球』(1911年)などをすでにしっかり読んでいて、読者にも同等の基礎知識を期待する書き方。ウィキペディアなどを総動員して何とかついて行ける感じ。付録のあとの方の3篇は民間伝承の考証もので、私は懐疑的。この方式だと何だって言えちゃうじゃない。2023/09/12
Sakie
19
大正9年から東京朝日新聞記者として、九州、奄美、沖縄、八重山と訪れた連載記事を元にした紀行記。沖縄を移動しながら読むとシンクロが起きることもあって面白かった。島に人口が増え、生活が逼迫するごと、人は新しい島へと北上した。それが日本の起源と柳田翁は推論した。植物の繁茂するエネルギーは凄まじいが、人間の食をまかなうには限度があると肌で感じた。内地で蒲葵と呼ぶ木は島ではクバ、古名はアヂマサ。白く晒して団扇や笠などに編んで上納したという。島では御嶽で大切にされる、信仰と切り離せない植物。低いヤシの木みたいだった。2025/03/12
Naoko Takemoto
10
タイトルにひかれて書店で手に取り、パラッとめくったら思い出深い旅行地である飫肥、油津のエピソードが目に入ったので購入した。昔の学術本なので文体が読みづらいし、読めない漢字すらあって、正直拾い読みに近かったかも知れない。それでも柳田先生のライフワークである昔語りを織り交ぜながら、南九州から沖縄、波照間に至るまでの滞在記として楽しめたし、新しい知識を得ることができた。次に南海に行くときは本書を持参したい。沖縄組踊りを観にいきたいなあ。2019/09/03
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