内容説明
「わたし」がフルサイズで存在したためしがいちどでもあったろうか。行為の身体的プロセスを忘却し、自己意識からはずすことで成り立つ日常。そのなかの存在の揺らめきを映像・音楽・モード・身体・顔・テクスチュアなど、表面にあらわれるさまざまな事象に現象学的にアプローチし、身近な視角からやさしく解き明かす哲学エッセイ。臨床哲学につながる感覚論をベースとした、鷲田哲学の根幹をなすアフォリズムにあふれる一冊。
目次
1 夢のもつれ(ラヴ・ミー・テンダー;nowhere man ほか)
2 夢のひきつれ(リンパ腺;水中都市 ほか)
3 夢のささくれ(人生観察家―パリでいちばん幸福なひと;鏡のそと ほか)
4 揺らめく像、散らばる音(割れ目の哀しみ―わたしの偏愛ビデオ;過剰であることのもどかしさ―侯孝賢監督『悲情城市』 ほか)
著者等紹介
鷲田清一[ワシダキヨカズ]
1949年、京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。関西大学文学部教授、大阪大学大学院文学研究科教授、同研究科長・文学部長、同大学理事・副学長をへて、現在、同大学総長。専攻は臨床哲学。著書に、『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『モードの迷宮』(サントリー学芸賞)など多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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