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角川文庫 角川ソフィア文庫
まなざしの記憶

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  • サイズ 文庫判/ページ数 232p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784044000837
  • NDC分類 104
  • Cコード C0110

出版社内容情報

写真と哲学のコラボ。「折々のことば」の著者による珠玉のフォトエッセイ。

■「折々のことば」の著者として、なにげない表現や言葉を新鮮な視覚から読み解き、日々人生を考えるヒントを与えてくれている哲学者・鷲田清一。一方、「UEDA-CHO(植田調)」と称されて、その演出写真が再評価されている世界的写真家・植田正治。本書は、その写真の「まなざし」に深く傾倒し、自らの臨床哲学に通底する思考と共振する数々の写真をそれぞれのエッセイに配し、それらが相乗的に交響して新境地を拓いたフォトエッセイ集です。鷲田清一の「やさしい哲学」は、以下のような文章から成っています。

時が翔ぶ。場所が翔ぶ。まなざしを翼にして。

わたしがほんとうに〈わたし〉を意識するのは、他人にまなざされ、言葉を差し向けられること、つまりは他人の意識の宛先としてである。

じぶんの顔はじぶんでは見えない。本質的に顔は関係のなかにあるのであって、けっしてそれだけで自足している存在ではない。

写真はさまざまな距離を置いて、ひとに、物に向かう。写真にはどうしても隔たりというものが要る。だから、砂丘のように遠近をとりにくい空間にひとや物を置くと、いきおい関係が並列されて、すべてのひとと物が等価になる。
それにしても、ここに立ち現れる《リアリズムの抽象力》とでも呼ぶべきものは、いったい何に触れようとしているのだろう。写真は時間を遮断するが、そのことで立ち上がってくる存在感情とはどのようなものなのだろう。

「癒されたい症候群」という流行がある。みんななにかに癒されたいとおもっていることじたいがひとつのシンドロームになっている。……癒すのではなく、癒してほしい。信じるのではなく、信じさせてほしい。愛するのではなく、愛してほしいのでもなくて、愛させてほしい…。受け身のきわみである。

■まなざしの記憶<目次>

前から、脇から、後ろから

1 顔

  あなたはうつくしい
  顔の渇き

2 跡

  花を贈る
  土を殺す
  心のたなびき
  墓標としての〈わたし〉

3 肌理

  まさぐる
  タッチング
  身をくるむものを失って
  とりとめのない話
  寂しい光景
  ときめく時間

4 空

  風に弔う
  身をほぐすということ
  死なないでいる理由
  スポーツはいい

5 間
  
  間ぬけの正ちゃん
  うろちょろ
  聴くということ
  屋久島の宿

6 距離

  親密な空間
  力をもらう
  ささえあいの形
  もたれあうのではなく
  ホスピタブルな夏
  おんぶ
  他人の背中

すすんで盲になること

掲載作品リスト

【著者紹介】
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内容説明

未知の思考の地平を切りひらく“試み”として、エッセイという表現方法に早くから取り組み、臨床哲学の立場からやわらかな思索を繰り広げてきた哲学者・鷲田清一。そのアフォリズムにあふれる文章に、「UEDA‐CHO(植田調)」と呼ばれる演出写真で世界的にも高く評価される写真家・植田正治の写真を配して構成。鷲田哲学と、まるで音楽を奏でるような不思議な魅力を放つ写真世界とが「対話」し交響する、珠玉の哲学エッセイ。

目次

1 顔
2 跡
3 肌理
4 空
5 間
6 距離

著者等紹介

鷲田清一[ワシダキヨカズ]
1949年、京都生まれ。哲学者。京都市立芸術大学学長。大阪大学名誉教授。せんだいメディアテーク館長。専門は臨床哲学・倫理学。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。関西大学教授、大阪大学教授、同大学文学部長、同大学総長、大谷大学教授を歴任。著書に『モードの迷宮』(サントリー学芸賞)、『「聴く」ことの力』(桑原武夫学芸賞)、『「ぐずぐず」の理由』(読売文学賞)など多数

植田正治[ウエダショウジ]
1913年、鳥取県境港市生まれ。写真家。鳥取砂丘をバックにした演出写真は「UEDA‐CHO(植田調)」と呼ばれ世界的に高い評価を得る。1989年第39回日本写真協会功労賞受賞、95年植田正治写真美術館開館。96年フランスより芸術文化勲章を授与。2000年逝去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

くみ

19
京都市立芸大学長で哲学者の鷲田さんのエッセイ。とってもあたたかく包まれてる気持ちになりました。耳にやさしいことばかりではなく、こちらの琴線に触れたり、時にはぐいっと踏み込んでくるのに、「母親の羊水の中ってこんな感じ?」と思うような安心感。どれも印象深いですが、「触れること」の章が今はとても心に残ってます。植田さんの写真がすごくマッチしてました。2018/09/09

tom

13
植田正治の写真を使った論説集。論説の方は、年寄りの私にとっては、ほとんど空念仏のような感じがして流し読み。でも、かなり矛盾しているのですけど、文章と写真が絶妙にマッチしている感じがある。植田正治の写真は、とても好きなのですけど、こういう見せ方もできる写真なんだと、ちょっとした発見と驚き。たぶん、鷲田清一さんという人は、独特の感覚をお持ちなのだと思った次第でした。2016/12/13

pirokichi

9
鷲田清一の文章に、植田正治の写真を配した哲学エッセイ。配された70枚の写真はまるでこの文章のために撮られたかのようにしっくりしている。「じぶんの顔は、じぶんの顔をまなざす他人の顔のその変化を見ることで、わたしが想像するものでしかない」「〈顔〉とは、(中略)見られるものでなく与えるものなのだ。「ボランティア」の精神というのも、じつはこの、〈顔〉を差しだすという行為のなかにあるともいえる」コロナ禍における生活の変化によって〈顔〉が薄くなってしまったと感じる2020年最後の日に、この本を読んでよかった。2020/12/31

吟遊

7
鷲田さんの日々のエッセイを哲学風に味つけ、ないし昇華させたもの。3,4ページの単位でさらさらと読める。2016/06/23

たまご

3
鷲田さんの文章と,奇妙にあう植田正治のモノクロ写真.植田正治晩年(?)の自身の写真もあって,なんか不思議な感じです.ずっとしゅっとした姿のままでいたような気がしていたので…2016/06/20

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