内容説明
一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき恋人、故郷、太陽、桃、蝶、そして祖国、刑務所。含羞にみちた若者の世界をみずみずしい情感にあふれた言葉でうたい続け、詩の世界にひとつの大きな礎を築いた寺山修司。「空には本」「血と麦」「テーブルの上の荒野」「田園に死す」「初期歌篇」。代表的歌集を網羅し、寺山作品初の文庫化を実現して以来、多くの若者に読み継がれる記念碑的歌集。
目次
空には本
血と麦
テーブルの上の荒野
田園に死す
初期歌篇
著者等紹介
寺山修司[テラヤマシュウジ]
1935年、青森県生まれ。早稲田大学中退。67年、演劇実験室「天井桟敷」を設立。演劇・映画・短歌・詩・評論など意欲的に活動。83年、敗血症により47歳で逝去
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感想・レビュー
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さゆ
125
自分という個人と世界との飛躍した対比がとてもよく、どことなくセカイ系のような寂しい雰囲気もうかがえる。また、詩によっては自己愛を嫌悪しているような部分も感じられた。ナスシズムと言えば悪い印象を与えがちだが、自己愛も生きる上で大切だと思う一方、それを否定することでも芸術は生まれるんだなぁとしみじみ。「にんじんの 種子吹きはこぶ 風にして 孤児と夕陽と われをつなげり」「夏蝶の 屍をひきてゆく 蟻一匹 どこまでゆけど わが影を出ず」「海を知らぬ 少女の前に 麦藁帽の われは両手を ひろげていたり」2023/12/30
クプクプ
78
寺山修司の本は、今まで詩集とエッセイを読んだだけで、今回、初めて短歌の本を読みました。私は短歌など読んでもわからないと決めつけていましたが、寺山修司の思いきりの良さや、人間描写、自然描写が良く、読んでいて、文章が私の体内に、どんどん入り込んできました。特にリンゴ畑の短歌は、私が青春時代に旅した、青森の風景を思い出して、懐かしさがこみ上げてきました。私の場合、人生に迷ったとき、寺山修司の文章を読むと、それまでと異なった決断を下せるときがあります。価格も安く、オススメの一冊です。2023/08/05
絹恵
46
この人の前だと、自分を見失って、自分を無くしてしまう。いつかの郷愁を重ねてしまいます。重ねた春は、いつだって遠い過去になって痛みが和らいでから、思い起こせるものなのだと改めて感じました。そうさせるのは彼が青さだけでなく、血と麦の海を知っているし、ぽっかりとあいた深淵を知っているからなのかもしれません。そして何よりも、ともに過ごした友人への深い感謝の気持ちがあるからこそ、生まれた歌なのだと思います。2016/03/26
あきあかね
20
地方の文学館を訪れると、教科書には載っていない無数の文士たちがそれぞれの地にいたことに驚かされる。先日、青森県の文学館に行った時、時の洗礼によって多くの作家が埋もれる中、青森では太宰治、本名津島修治と寺山修司の二人のシュウジが群を抜いて名を馳せていることが分かった。 「海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり」「わが夏をあこがれのみが駆け去れり麦藁帽子被りて眠る」「少年のわが夏逝けりあこがれしゆえに怖れし海を見ぬまに」「森駆けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし」2023/02/19
松風
20
“喪失”と“不在”の歌。「『私』性文学の短歌にとっては無私に近づくほど多くの読者の自発性になりうる」「世界という言葉が歴史とはなれて、例えば一本の樹と卓上の灰皿との関係にすぎないとしてもそうした世界を見る目が今の私には育ちつつあるような気がするのだ。」2014/07/22