内容説明
昭和二十年四月一日から始まった約三年半にわたる岡山での疎開生活。横溝正史は肥たごをかつぎ、畑を耕しながら、土地の人々との交流を深めた。彼は日本の敗戦を予測し、もし戦争協力を求められたら一家心中も辞さず、と常に青酸加里を携帯していた。玉音放送を聞いた時、彼は快哉を叫んだ。正史の猛烈な創作がこの時から始まる…。「本陣殺人事件」「蝶々殺人事件」「八つ墓村」「獄門島」等、数々の名作が生まれた背景を、横溝正史が自ら綴った想い出の記。
目次
疎開三年六カ月―楽しかりし桜の日々
義姉光枝の奨めで疎開を決意すること―途中姉富重の栄耀栄華の跡を偲ぶこと
桜部落で松根運びを手伝うこと―ササゲを雉子に食われて泣き笑いのこと
敗戦で青酸加里と手が切れること―探偵小説のトリックの鬼になること
田舎太平記―続楽しかりし桜の日々
兎の雑煮で終戦後の正月を寿ぐこと―頼まれもせぬ原稿七十六枚を書くこと
城昌幸君の手紙で俄然ハリキルこと―いろんな思惑が絡み思い悩むこと
探偵小説を二本平行に書くということ―鬼と化して田圃の畦道を彷徨すること
農村交友録―続々楽しかりし桜の日々
アガサ・クリスティに刺激されること―公職追放令に恐れおののくこと
澎湃として興る農村芝居のこと―昌あちゃんのお婿さんのこと
「本陣」と「蝶々」映画化のこと―桜部落のヒューマニズムのこと
伜亮一早稲田大学へ入学のこと―八月一日に東京入りを覘うこと
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
夜間飛行
87
岡山や瀬戸内海を舞台にしたあの名作群はどうやって生まれてきたか。正史はカーの『プレーグ・コートの殺人』を読んだお陰で、たまたま勧めらた疎開が探偵小説の素材になることを予感したそうだ。戦時のこととて三人の子を抱えた生活に青酸カリさえ用意しながら、夫婦で肥運びや畑仕事を愉しむ日々は逞しい。やがて玉音放送に小躍りし、屋根裏の塩塗れになった外国雑誌を読み漁る。村人との雑談から思いついたトリックが本陣や蝶々に結実していったそうな。回り道に見える戦争体験がいかに重要だったか、私が育った戦後の精神風土の前提がわかった。2019/03/10
セウテス
56
昭和二十年の東京大空襲のあと、吉祥寺にいた横溝正史氏は、岡山へ疎開する事となる。瀬戸内海を見下ろし、ディクスン・カーの『黒死荘の殺人(プレーグ・コートの殺人)』に思いを寄せて、『本陣殺人事件』『獄門島』が創られていく。その疎開時代を綴った随筆であり、金田一耕助の直接の誕生秘話だと思って読んだため、ちょっと肩透かしを食った感がある。しかし間違いなく、この時期の敗戦への思いや岡山での生活が、昭和四十六年角川文庫の横溝正史シリーズ九十二作品に繋がったのだと思う。今では三十冊以上が手元に無く、たいへん残念に思う。2014/12/15
のびすけ
26
横溝正史一家が疎開先の岡山県で過ごした戦中・戦後の三年半を綴ったエッセイ集。桜部落での暮らしとその後の執筆活動に大きな影響を与えた人々との出会い、「本陣殺人事件」と「蝶々殺人事件」の本格長編二本を並行して執筆することになった経緯、アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」に刺激を受けて生まれた「獄門島」などなど、横溝正史本人から語られる逸話の数々がとても興味深かった。この時期の経験がその後次々に生まれる名作の礎となったことは感慨深い。2021/06/06
林 一歩
23
再読。10分で読了。タイトルに「金田一」とあるが、誕生秘話が明かされているわけでもないし、このタイトルは反則だと思う。本格推理小説を書こうと模索していた時期の著者の日常を思い出し書きしたような内容なので、よほどの好事家以外は読まなくても良いと思います。2014/03/21
Kouro-hou
22
東京大空襲後の岡山疎開から再び東京へ戻るまでの3年半について語った1976年のエッセイ。横溝角川文庫の旧編成最後の一冊(金田一ファイル編成には入らず)で、通し番号は無いものの付いていれば100番でした。「本陣殺人事件」「蝶々殺人事件」「獄門島」の構想と当時の雑誌事情、疎開先の桜部落の話がメイン。本格推理の三本柱は「密室」「一人二役」「顔の無い死体」だからどれかは入れたいとか、本陣殺人事件の話で、トリックが無茶でもそれを納得させる文章を書けばいいとか、ここは試験に出ますよ的な横溝ポイントが詰っている本です。2015/07/12