出版社内容情報
高貴な出自ながら、悪僧(僧兵)として南都興福寺に身を置く範長は、都からやってくるという国検非違使別当らに危惧を抱いていた。検非違使を阻止せんと、範長は般若坂に向かうが──。著者渾身の歴史長篇。
内容説明
時は、平家が繁栄を極める平安末期。高貴な出自でありながら、悪僧(僧兵)として南都興福寺に身を置く範長は、都からやってくるという国検悲違使別当らに危惧をいだいていた。彼らが来るということは、南都をも、平家が支配するという目論みがあるからだ。検悲違使の南都入りを阻止するため、仲間とともに、般若坂へ向かう範長。だが、検悲違使らとの小競り合いが思わぬ乱戦となり、範長は大きな過ちを犯すことになるが―。
著者等紹介
澤田瞳子[サワダトウコ]
1977年、京都府生まれ。同志社大学文学部卒業、同大学院博士前期課程修了。2010年に『孤鷹の天』でデビューし、同作で第17回中山義秀文学賞を最年少受賞。12年『満つる月の如し 仏師・定朝』で第2回本屋が選ぶ時代小説大賞、13年に第32回新田次郎文学賞を受賞。16年に『若冲』で第5回歴史時代作家クラブ賞作品賞と第9回親鸞賞を受賞。20年に『駆け入りの寺』で第14回舟橋聖一文学賞を受賞。21年に『星落ちて、なお』で第165回直木賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ちゃとら
56
『茜唄』を読了した後、積読本の中の澤田瞳子作の『龍華記』を開いた。こちらは平家が南都に火をかけた時の興福寺の範長の話、運慶も気の良い友として登場した。前半は読みにくさを感じ苦戦したが、重衡の最後の場面には涙が。寺も兵力を持ち、寺が寺を奪う時代。「怨み心は怨みを捨てることによってのみ消えゆる。」興味深い作品だった。2023/11/03
エドワード
45
古来戦の多くは仇討ちである。平安末の奈良、興福寺に、保元の乱で争った藤原頼長と忠通の子、僧兵の範長と別当の信円がいた。折しも天下を牛耳る平家軍を範長らが退けた報復として、平重衡率いる大軍が南都を焼き尽くす。人々が焼け野原から寺を復興しようと努める中で、範長は親や家を失った孤児らを養う、平重衡の養女・公子と出会う。平家は南都の仇、それぞれの信念に基づいて行動する範長と信円、重衡と公子の運命や如何に!これもまた実に巧みな平家物語の変奏曲、「怨み心は怨みを捨てることによってのみ消ゆる」との仏の言葉が印象的だ。2021/10/09
kawa
34
平安末期の平家・平重衡らによる南都焼打ち(奈良市の興福寺・東大寺等)事件が題材。主人公は高貴な出自ながら、悪僧(僧兵)として興福寺に身を置く範長(はんちょう)。彼と彼の従弟で興福寺院主・信円、重衡、重衡の養女・公子、仏師・運慶らが織り成す歴史ドラマを堪能。奈良の町や奈良の仏像が好きで毎年訪れる機会がある。思ってもみなかった関連秀逸小説に出会えて嬉しい。仏像マイ・ベストに入る興福寺国宝館の山田寺・銅造仏頭の因縁も最終章で知れる。次回鑑賞の興趣としてテイク・ノート。般若寺と韮山・願成就院も訪問予定リストに。2024/08/24
黒猫
20
興福寺の悪僧がもしこの小説にかかれていたような集団だったら、平清盛、織田信長が南都北嶺を目の上のたんこぶだと思っていた理由がわかる気がする。にしても、興福寺に2回行ったがまた行きたくなる。猿沢池から見る興福寺の五重塔は本当に美しい。2022/02/08
豆電球
14
平重衡がとても気になるこの頃。南都焼討ちが描かれているという事で読んでみました。読んでみると重衡目線ではなく興福寺の悪僧目線で描かれていたのでなんか違うかもと最初は思いましたが、読了してみれば非常に心に残る1冊となりました。奇しくも今、世界では悲しい出来事が起こっています。私達は過去から大切な事を学び取り、今に活かさなければなりません。それが歴史を識るという事だと思います。この本が訴える「怨みごころは怨みを捨てることによってのみ消ゆる」という意味を忘れずに生きていく事が市井の人間にも出来る事だと思います。2022/02/27
-
- 和書
- OD>大蔵官僚支配の終焉