内容説明
見栄っ張りな津田由雄には、半年余り前に結婚したばかりの妻・お延がいる。しかし津田は、自分を裏切って友人と結婚した元婚約者、清子のことがいまだに忘れられなかった。病を患い入院した彼は、清子が流産し、温泉に逗留中だと知る。未練と期待を胸に、妻へは病気の静養と嘘をついて温泉へ向かう津田だったが、実はお延に二人の関係は知られていて…。漱石最後の作品となった、未完の傑作。
著者等紹介
夏目漱石[ナツメソウセキ]
慶応3(1867)年、現在の新宿区生まれ。明治23(1890)年、帝国大学文科大学英文科に入学。明治28(1895)年から29(1896)年には『坊っちゃん』の舞台となった松山中学校で教鞭を執る。明治33(1900)年9月、イギリス留学出発。明治38(1905)年、『吾輩は猫である』を俳句雑誌「ホトトギス」に連載。明治40(1907)年、朝日新聞社に入社。以降、朝日新聞紙上に『三四郎』『それから』『こころ』などを連載。『明暗』が未完のまま、大正5(1916)年12月9日、胃潰瘍にて永眠(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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山口透析鉄
18
ちょっとどこの文庫で読んだか、これも失念していますが、漱石、なんだかんだと主要作品は概ね読みました。 この作品、完結まで書いていたらどんな作品になったのでしょうね?章題もふらず、新聞連載でずっと書いていたので、長いですし、決して読みやすくはないので……でも文豪の未完小説、というのには惹かれますね。 ラスコーリニコフに対するソーニャ、出てきそうなところで終わってしまっているようだったのが残念でならないです。1982/09/25
田氏
16
「コミュニケーションの主目的は、わずかでも他人を動かし、世界を自分に都合よく再構成すること。独り言ですら、自分自身をまっすぐに飛ぶためになびかせる方法である」とはジョナサン・ゴッドシャルの言である。さらに抽象化するなら、価値、すなわち「よい」を規定する権力闘争とでもいえようか。なれば、なるほどコミュニケーションとはエゴイズムなのである。本作はエゴイズムを戯画化したものとなっている。少なくともそう描きだす意図を感じさせる程度には。そしてそれは、漱石の則天去私観念には沿わないかもしれないが、「自然」に見えた。2025/06/09
米笠鹿
10
津田とお延のあれやこれ。狭いコミュニティの中のもどかしさが現実に則しており、その人間関係の微妙なずれから生まれる心理描写に大幅のページ数を割いている。所作一つ心情一つをこぼさず文字にしているのだから本の分厚さも頷ける。かといって冗長かと言えばそんなこともなく、人物と景色が浮き上がってくるばかりだから、漱石の文章のパワーを感じる。今読んでも古くささが一切ないことが凄い。絶筆になってしまったのは悲しいけれど明るく救いがある続きの想像は自由にできるのだから、その余白を楽しむような気持ちで余韻に浸ろうと思う。2022/04/24
りっとう ゆき
5
未完。もっと読んでいたかった。でも、自分なりの解釈で完結させた。 昼ドラ的ドロドロを美しくさえする詩的かつ的確な文章、間、会話。惚れ惚れするほどの心情表現(それが妄想、疑心暗鬼、自己嫌悪といった醜いものでさえも)。秘める人たちは回りくどく、もどかしい。ただ、それが渦中にいる人たちのありのままなのかもね。そしてその内側の言葉にできない感情も表現しまう、これこれ。 うん、やっぱり漱石作品だな。 ただ、以前の作品の激しさ、苦しさとはまた別の種類の作品のような気がした。次の次元に行こうとしてたのかな、などと。2019/08/05
このこねこ@年間500冊の乱読家
2
⭐⭐⭐⭐ 漱石、なんで途中で死んじゃったん……?未完の作品ですが、続きが読みたくて仕方ない。 『虞美人草』以来の女性主人公で、ちゃんと女性の心情にもスポットライトが当たっていて、非常に興味深い。 晩年は悲劇ばかりの漱石ですが、きっとこの作品はハッピーエンドなんですよね?2021/10/06