危機と決断〈上〉―前FRB議長ベン・バーナンキ回顧録

  • ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
  • サイズ B6判/ページ数 350p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784041023655
  • NDC分類 338.3
  • Cコード C0098

出版社内容情報

FRB第十四代議長ベン・バーナンキが明かす金融恐慌との闘い、その内幕。

二〇〇八年秋、米大手投資銀行リーマン・ブラザーズの破綻を機に世界を襲った金融危機。放置すれば世界大恐慌のような経済崩壊と大量失業に陥ってしまう――。「THE COURAGE TO ACT」待望の翻訳。

内容説明

金融政策の舵を取った当人が語る、全米でベストセラーの話題作。米国の歴史で最悪の金融恐慌、その闘いの全てを今、明かす。

目次

1 序曲(一般市民の暮らし;学問の森の中で;理事就任;マエストロのオーケストラで;サブプライム危機;ルーキー・シーズン)
2 危機(最初の微震動、最初の対応;一歩前に;終わりの始まり;ベアー・スターンズ アジア市場が開く前に;ファニーとフレディの長く暑い夏;リーマン、ダム決壊す)

著者等紹介

バーナンキ,ベン・S.[バーナンキ,ベンS.] [Bernanke,Ben S.]
米連邦準備制度理事会(FRB)第14代議長(2006年2月~2014年1月)。1953年12月生まれ。高校卒業後、ハーバード大学に進学して経済学を学ぶ。その後、マサチューセッツ工科大学(MIT)で経済学博士号を取得。マクロ経済学や金融論を専門とした経済学者としてプリンストン大学などで教鞭を執った。2002年ブッシュ政権下でFRB理事に就任。2006年2月1日にFRB議長に就任し、2008年に発生した金融危機に立ち向かった

小此木潔[オコノギキヨシ]
上智大学文学部新聞学科教授。1952年生まれ。1975年東京大学経済学部卒業と同時に朝日新聞入社。ニューヨーク特派員、東京本社経済部長、論説副主幹、編集委員を経て、2014年から現職。リーマンショックの2008年から2011年にかけて日米欧で世界危機を取材

石垣憲一[イシガキケンイチ]
1971年生まれ。東京大学文学部西洋古典学専攻卒業。プログラマー、翻訳家

川崎剛[カワサキタケシ]
1954年生まれ。津田塾大学非常勤講師。早稲田大学教育学部卒業後、1980年朝日新聞社入社。長崎支局、西部本社社会部を経て、東京外報部、アメリカ、アフリカ特派員などを歴任。外報部次長、オピニオン編集部次長などを務めた。スタンフォード大学ナイトフェロー

永峯涼[ナガミネリョウ]
上智大学外国語学部卒業

西崎香[ニシザキカオル]
ケンブリッジ大卒後、朝日新聞で主に経済分野を担当し、海外取材ではニューヨーク、シリコンバレー、ワシントン総局特派員などを経て機動特派員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

この商品が入っている本棚

1 ~ 1件/全1件

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

Hiro

7
サブプライム・リーマンショックの矢面で対峙を続けたバーナンキFRB議長の自伝。前議長のグリーンスパン氏の著書と比べても、危機の当事者としてリアルな対処、苦悩がヒシヒシと伝わってくる。危機の全体像や背景がわかり辛いところも。それだけ体験が壮絶だった、ということなのだろう。2022/11/16

jj

6
15年刊。出自から06年FRB議長就任、サブプライム問題による金融危機、リーマン破綻までが上巻。この金融危機で、何故リーマンブラザースのみを破綻させたのかという疑問に対し、諸説様々であるが、(ノーベル賞学者フリードマンの研究を発展させた)自身の30年代の大恐慌研究の中で、不良銀行と無理な合併によるオーストリア最大の銀行破綻が問題を大きくした。この研究成果が影響し、リーマンとの無理な合併を決断できなかったという。後にこの金融危機の対処にあたり、亡きフリードマンの手法に従っただけと述懐したというのは印象的。2020/01/01

Junichi Wada

6
リーマン危機直前よりFRB議長となったバーナンキの回顧録。FOMC内での意見対立や金融政策における批判意見など固有名詞を用いて生々しくかかれており、特にリーマン救済をめぐる動きは緊張感が伝わる。ただ、翻訳がひどい。訳者経歴を見ると仕方がないが、金融の術語や言い回しがよくない。中身としてはよいだけに、良さが半減する。2018/07/29

田中峰和

6
中央銀行はデフレを防ぐためにあらゆることをすべきだとスピーチしたおかげでヘリコプター・ベンと呼ばれたバーナンキの自伝。前任者グリーンスパンは18年も議長を務め、FRBというオーケストラを率いるマエストロと称賛された。本当に米国人はあだ名をつけるのが好きだ。彼が偉大なバンカーとして喝采を浴び退任した05年8月時点で、すでにサブプライム危機の萌芽は芽生えていた。ラッキーなグリーンスパンと不運なバーナンキ。全盛期の大恐慌がなすすべなく長期化したのに比べ、なんと鮮やかなベンの手腕。下巻で彼の手腕をのぞいてみよう。2016/02/28

Kiyoshi Utsugi

4
アラン・グリーンスパンの後を継いで第14代FRB議長を2006年2月から8年間務めた人で、退任後に書かれた自叙伝になります。 上巻では、生まれてから大学・大学院を経て、FRB議長として、リーマンショックに対応した頃までが書かれています。 大学はケンブリッジにあるハーバード大学、大学院は経済学の大家であるサミュエルソン教授のいたMITに進んで、経済学を専攻しています。2019/06/30

外部のウェブサイトに移動します

よろしければ下記URLをクリックしてください。

https://bookmeter.com/books/10124652
  • ご注意事項