内容説明
1945年、秋。敗戦後、ウズベキスタンに抑留された工兵たちがいた。彼らに課されたのは「ソ連を代表する劇場を建てること」。捕虜生活の下、457名の隊を率いてプロジェクトを完遂したリーダーは、まだ20代の将校だった。「日本人の誇りと意地にかけても最良のものを作りたい!」彼らの仕事はソ連四大劇場の一つと称賛されたオペラハウス、ナボイ劇場に結実した。シルクロードに刻まれた日本人伝説!
目次
序章 シルクロードの“日本人伝説”
第1章 敗戦、そして捕虜
第2章 抑留、劇場建設へ
第3章 収容所長との交渉
第4章 誇れる仕事
第5章 秘密情報員と疑われた永田
第6章 収容所の恋
終章 夢に見たダモイ
著者等紹介
嶌信彦[シマノブヒコ]
ジャーナリスト。1942年中国・南京市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、毎日新聞社に入社。ワシントン特派員などを経て、東京本社経済部を最後に87年毎日新聞社を退社し、フリーとなる。数多くの番組で司会・解説者を務めてきた。現在は、『嶌信彦 人生百景「志の人たち」』でパーソナリティーを務める。著書に『日本人の覚悟』等多数。NPO法人日本ウズベキスタン協会の会長職にもある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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trazom
50
満州でソ連の捕虜となり、ウズベキスタンに収容されてナボイ劇場の建設に当たった日本人捕虜の物語。ウズベク人たちが「捕虜なのに、なぜあんなに一生懸命に仕事をするんだろう」と驚く見事な仕事ぶりは、隊長の永田行夫大尉以下の日本人のプライドのなせる業だと胸を打つ。正に奇跡と感動の物語であるが、この本は、とても薄っぺらい。登場するロシア人もウズベク人もみな善良で、日本人捕虜たちも、一致団結して仕事に取り組んだとする。そんな筈はあるまい。彼らの苦難と葛藤は、こんな陳腐なドラマで収まらない深さと闇の中にあったに違いない。2020/06/03
柔
15
日本人として誇らしい限りだ。タシケントを襲った大地震でもびくともしなかったナボイ劇場。それを作ったのは、戦後現地へ送られた日本人捕虜たちであった。「将来笑いものになるような劇場を作ったら日本人の恥になる。日本人の技術、技能で世界一の建築物を作るんだ」と仕事に取り組んだ。第4ラーゲリで民主運動が広がらなかったのも、永田隊長の功績は大きい。苦しい生活の中でも楽しみを作り、生活を豊かにしたリーダーシップにも脱帽。日本人の働きぶりに心を撃たれ、食料をこそっとくれたり、優しく接してくれた現地人の優しさも良かった。2023/03/22
templecity
14
戦後、捕虜としてウスベキスタンに連れてこられた日本人が劇場を造った。日本人として恥ずかしくないものを造ると言う誇りで見事に完成させ、1966年に起こった地震でも無事であった。ドイツ人の捕虜ならサボタージュもするところだが、日本人は責任感をもってやり遂げている。現地人も何故、そんなに器用なのかという問いに、こう答えている。日本人は6年間読み書きを習い、和をもって助け合い、礼儀を学び、分からなかったら教えを乞うという民族。(続きあり)2020/08/20
おとん707
13
終戦時満州の多くの日本兵がシベリアに抑留されたが、そんな中で工兵部隊の400名余りはウズベキスタン(当時ソ連)のタシケントに送られオペラハウスの建設に投入され、その優れた仕事ぶりで目標通り完成させ関係者から絶賛された。劇場は今も現役だ。本書はその一部始終と帰国後の後日譚を10年以上にわたる取材の成果として丁寧に纏めている。この話は日本人の誠実さ勤勉さの象徴として美談となっているが、残念ながらそんな日本人の長所は今や諸外国に追いつかれ追い越されつつあるとアジア諸国を訪問するたびに痛切に思う。頑張ろう日本人。2023/08/16
めっかち
4
ソ連に抑留された日本人捕虜たちが、ウズベキスタンのナボイ劇場の建設に尽力した様を描いたノンフィクション。彼らは、不当なソビエトの抑留下にありながら、日本人としての誇りを忘れず、劇場建設に当たった。他の収容所ではみられた、仲間割れもほとんど起こらなかった。現地の人含め、当事者に丁寧な取材を行い紡がれた良書。以前に「そこまで言って委員会」で見て、かねてより読みたいと思っていたが、期待は裏切られなかった!2024/08/23