内容説明
中国・江南の旅に区切りをつけて飛んだ「蜀」の国、四川省。いまなお広大な田畑を潤す古代のダム都江堰の存在感は大きく、「おそらく年を経てもわすれないたぐい」の記憶と書かせた。さらに足を伸ばした「古代西南夷」の国、雲南省では、日本の稲作文化の源泉を検証。「少数民族のショーケース」ともいえる地への念願の旅に、生来の小民族好きの著者の筆も踊っているかのようだ。
目次
中国・蜀のみち(入蜀;蜀人の清潔;コンニャク問答 成都散策 ほか)
中国・雲南のみち(古代西南夷;銀樺の町;睡美人 ほか)
著者等紹介
司馬遼太郎[シバリョウタロウ]
1923年、大阪府生まれ。大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)蒙古科卒業。60年、『梟の城』で直木賞受賞。75年、芸術院恩賜賞受賞。93年、文化勲章受章。96年、死去。主な作品に『国盗り物語』(菊池寛賞)、『世に棲む日日』(吉川英治文学賞)、『ひとびとの蛩音』(読売文学賞)、『韃靼疾風録』(大佛次郎賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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chantal(シャンタール)
90
中国の道となると、どうしても自分の歩いた道と重ねて読んでしまう。四川人の顔立ちの話題ではついつい、うちの成都事務所所長を思い出し、中国語が簡潔なのは紙が出来る前に文章語として成熟してしまい木簡や竹簡には多くを書けなかったから、の考察にはなるほど。蜀と言えば三国志、歴史ロマン香る街。雲南は私も司馬先生と同じくずっと前に昆明にしか行った事がないけれど、大きな生花市場に色とりどりのお花があったことを思い出す。日本人の祖先の一部かもしれない少数民族。昔、少数民族と間違われた自分の過去も懐かしい😅2019/07/22
夜長月🌙新潮部
81
司馬氏が三国志の蜀の地を歩んでみての中国と日本への考察です。陳寿の「三国志」では劉備のことを先主(君主)と呼んでいます。「三国志」は魏を受け継いだ晋の書ですから魏を正当とし蜀を賊呼ばわりしてもいいのですが先主です。これには陳寿が蜀の人であったこともありますが劉備への尊敬の念の表れでしょう。劉備の遺書は「我が子が不才であれば孔明に漢の皇帝になってほしい」というものです。ここに尊敬に足る劉備の人間的魅力が尽きています。当時は血族より才能を優先するなど考えられない時代だったのです。2019/08/15
AICHAN
32
図書館本。古代タイ語族が南インドの影響を受け、タイから海を伝ってベトナム、そして江南に至り、そこから日本列島に渡ったのではないかと私は漠然とそう考えていたが、この本を読んで陸地から江南に至ったと考えたほうがいいと思った。中国雲南省の少数民族は昔から稲作をし剽悍で、彼らが長江を下って楚や越に至って稲作を広めたとも考えられるらしい。何の本だったか、チベットで五十音を聞いた学者がいたことを読んだ。南インドの言葉はチベットや雲南省を経て江南、そして日本に来たと思えば無理はない。2016/06/01
aponchan
21
司馬遼太郎氏作品乱読のうちの一冊。このシリーズはとても面白い。中国が他民族国家で、長い時代背景があっての今であることを教えてくれた。 最後の作者の戦争感に関し、自分も一人の日本人として重く受け止めた。2023/05/06
はちこう
14
前巻に引き続き中国の旅。前半は内陸の四川へ。成都には以前行ったことがある。当時の訪問先や四川料理等を思い出しながら楽しく読ませていただいた。後半は雲南へ。その歴史はとても興味深いものだった。長江を下って日本に稲作をもたらしたのが越人、その越人の遠い祖が稲作西南夷とのこと。壮大と言える日本人のルーツを雲南の地に感じていると、最終章で司馬さん自身の中国論が述べられる。「侵略した、ということは、事実~」から始まる296頁の一文は心に響いた。『長安から北京へ』も読んでみよう。2023/10/15